2019年10月20日

キャリアインタビュー 「脇道に逸れた働き方がしたかった」作業療法士の日野上貴也さん(松原事業所、心意気実践チーム)


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社内メールマガジン〜アクティブ流〜201911月号のキャリアインタビューでは、作業療法士の日野上貴也さん( 10 年目、入職年月:平成311月、所属:松原、心意気実践チーム)からお話をうかがいました。



1.今の仕事に至った経緯

高校卒業後は特にやりたいこともなかったので、ただ漠然と安定した生活がしたいと思い、大手企業に就職し“派遣社員⇒正社員”という道を思い描き、まずは派遣社員として働きました。大手企業の派遣社員として3年働けば、正社員になるための採用テストが受けることができるというシステムでした。しかしながら実際のところ、正社員になっている人はあまりおらず5年以上派遣社員として働いている人がほとんどでした。1年半ほど働きましたが、将来性を感じることは出来ませんでした。そこで何か資格を取ろうと思い立ち、資格がたくさん載っている本を見ると、たまたま受験日が近かったのが理学療法士・作業療法士の養成校でした。そして理学療法学科に受験してみると作業療法学科に“まわし合格”となり、入学・卒業し作業療法士になったという感じです。そのため作業療法士にどうしてもなりたい、誰かの役に立ちたいとかそんな立派な志のような部分や作業療法士を目指す理由は特にありませんでした。そんなわたしですが、病気や障害などのため「大変そうだなぁ」と思う方が目の前にいたら、「この方のために何とかできないか」と自然に自分から思えるので作業療法士にもなれましたし、また今もこの仕事を続けることが出来ているんだろうなと思います。


作業療法士としては、大阪物療専門学校卒業後のすぐの職場は府内にある回復期リハビリテーション病棟を有する病院でした。作業療法士となって初めての職場では作業療法の難しさに直面しました。入職2ヶ月目に担当した大腿骨頸部骨折の患者様で「家に帰りたい」と希望されていました。今回の骨折以前から円背があり後方へのふらつきが強く転倒傾向があり、また認知面では一つの行動に集中すると他の事を意識できない、自分の生活に対するこだわりが強くあり変化を受け入れることが難しい、という方でした。主病名は大腿骨頸部骨折ですから、日増しに筋力が向上してきて身体機能はメキメキと回復してきます。後方へのふらつきは見られましたものの、キャスター付きピックアップ歩行器で院内移動が出来るまでに回復されました。しかし、尿意を感じ「トイレに行きたい」と思うと歩行器を忘れて移動をしたり、もし自宅退院すれば炊事、洗濯をする等「今までやっていた役割」を「退院後も継続する」と強く希望されていました。入院期間は3ヶ月です。これらの情報を集約するまでに1ヶ月ほどかかっていますので、残り2ヶ月ほどで何とかしないといけません。しかし現状の身体機能だけでは転倒リスクが高くて到底難しいと思いました。でもどうすれば課題が解決するのかもわかりませんでした。「手すりをつける」「ベッドとトイレの距離を短くする」といった環境面に視点を移して考えてみました。では具体的にどこにつけるのか、ベッドをどこに置くのか等、という案が全く出てこなかったのです。何となく理学療法士と作業療法士の違いを感じた瞬間でした。そして何より自分が作業療法士として機能していない事に気づかされました。そこで先輩OTに質問をし続けて、最終的には動線上にアスレチック公園の様な手すりだらけの住環境調整の提案をしたような記憶があります。本当に作業療法は難しいと思いました。そんな経験を新人から2年ほど続けました。


次は、府内の急性期病院に勤務しました。軽症の方が多いなか、医療機器のコードやチューブが手足にたくさんセッティングされセンサー音が鳴り、座っただけで血圧が2030も下がるため、ベッドのギャッジアップとダウンのくり返しといった患者様も入院しておられました。ここでの作業療法士の役割はチーム医療の一端を担っていたとは思いますが、診療・治療の“補助”という印象です。症状を改善させるために医師や看護師が診療・治療や処置を行っているので、作業療法士はその時にできる生活動作を評価し医師の指示の範囲内で心身機能面にアプローチを行い、次の転機先につながる情報を提供するという役割を主に担っていた印象です。ここでも2年間勤務させて頂きました。


その次が介護老人保健施設、“老健”です。ところで突然ですがみなさんは、“老健”と“特養”の違いを知っていますでしょうか?実は専門職でもあまり知らない方が多いのが実情です。また地域の住民の方たちにはほとんど知られていないようです。特養は人生の最期まで看てくれますが、老健はリハビリ施設なので全く役割が違います。どちらも施設系サービスで分けられており、介護老人保健施設=老健、介護老人福祉施設=特養と正式名称が“保健”か“福祉”かの違いだけなので余計に分かりにくいのかもしれません。

老健に入所⇒ご家族様・利用者様ともに「施設に入った」と思う⇒これでずっと過ごせる、過ごさないといけないと思う⇒家に帰れないという“負のサイクル”が繰り返し行われていました。これは勤めていた施設だけの課題というより全国レベルでの課題であると全老健の調査研究でも指摘されています。老健で働くリハビリ専門職は本当に大変だと思います。老健では心身機能が向上し、生活レベルも向上し、在宅環境を整えれば家に帰れるという状態になっても、終の棲家として人生の最期までを老健で過ごそうと思って入所されている方は家に「帰らない」ということが起こっています。まだ利用者様もご家族様も家に帰りたくないと言っているケースはいいのですが、利用者様は帰りたいと言っているのにご家族様は受け入れられないと言っているときは非常に辛かったです。老健という小さい箱の中で、利用者様お一人でベッドから車椅子に乗り移っては怒られ、エレベーターに乗っては怒られ、食事を食べこぼしては怒られ、見たくもないテレビをずっと見させられて時間になればトイレ誘導でトイレに連れていかれ、自分らしい暮らしや営みというものが遠く感じられたためか入所者のお一人が「もうあの世に行きたい」と言われる。このような場面を老健の日常から見続けているので、“帰りたいのに帰れない”という場面に立ち会ったときは辛さが倍増しました。その場面を目の当りにするようになってから「何とかして家に帰したい」と思い、介護保険や地域包括ケアシステム、高齢化社会など地域の状態や仕組みについて調べ始めました。まずは、“老健=終の棲家”というイメージを地域住民の方々は持たれていたので、そこを何とか変えたいと思って老健の役割に関する啓蒙的な活動を始めました。あらかじめリハビリ施設だと認識して入所されていれば、その後の退所もスムーズにいくのではないかと考えたわけです。そこで「老健は終の棲家ではない!」ということを伝えるために、当時担当していた業務の一つであった総合事業の健康体操を通じて広報活動を始めました。開始当初は皆さん老健の役割を知らず、本当に終の棲家だと思っている方が参加者20人中20人だったことがありました。そこで体操を通じて説明を行い、1年が経過した頃には参加者の皆さん「老健はリハビリ施設」と声をそろえて言って下さるようになりました。その活動と並行して、入所中の利用者様を在宅生活に近づけるのはどうしたらいいのかということも考えていました。施設相談員さんから提案してもらった作戦で、月のほんとどはショートステイを利用して老健で過ごし、月23日程度は家に帰るという案です。この案をもとに在宅に帰れそうな利用者様をリハビリ科がピックアップし施設相談員さん、ご家族様に伝達するという試みをしました。「能力的にこの利用者様は家に帰れます」では伝わらないところが「ショートステイをこの日程で利用してみてから、この生活スタイルで家に帰りませんか?」と、より在宅復帰の実現可能性をイメージしやすい提案にすることで、在宅復帰数は少ないものの、在宅に繋がる1つの方法を見つける事ができました。施設や制度、社会の仕組みを知ることの大切さや伝え方の大切さを感じた5年間の勤務でした。


アクティブへ転職した理由は、脇道に逸れた働き方ができそうだったからです。どういう訳かというと、作業療法士と言えば個別リハビリで個別での治療というのが一般的で王道だと思うのですが、これからの地域は高齢者があふれて来て個別で対応できる人数だったり期間だったりが限定されてくると感じています。その中で、全ての作業療法士が王道を走ってしまうと、作業療法士などのリハビリ専門職の数に対して高齢者が多すぎるような状態になるため、リハビリ難民のような治療を受けれない方々が出てくると思うんです。この状態を何とかしたいと思っていました。僕の年齢が今33歳で人口減少時代の予測が2045年程度でその時は59歳、その後も高齢化率は維持されて高齢化社会は続く、などと考えていたら、僕の臨床家としての人生は高齢化社会との闘いだと思っています。個別での王道だけでなく、多くの人を集めて集団体操などを行う総合事業や、介護保険などの仕組みを地域の住民の方に知って頂くことで地域がスムーズに循環できるような啓蒙活動、介護保険の枠組みが狭くなってきているので枠組みを超えた取り組みを支援できるような自費サービスなどが必要じゃないか、など王道とは違う脇道に逸れているような活動が必要だと考えていました。そんなことを考えながら転職活動を行っていたところ、実際に考えて行動に移せる環境がアクティブにはあるのではないかと思い転職を決めました。


2.今の仕事・働き方

訪問業務2日、デイ0.5日、心意気チーム等の業務2.5日、月曜日休みの働き方です。他の業務としては、心意気実践チーム、心意気サポート、自費サービスてくてぃぶ、実務者研修会の講師、介護予防・日常生活支援総合事業(健康体操やウォーキング、エクササイズランチ、地域ケア会議、オレンジチームへの参画等)、療法士養成校(大学・専門学校)への講義、実習生指導、新人指導等、様々な業務を経験させて頂いています。


3.仕事をしていくうえで大切にしていること

“百聞は一見に如かず”です。学生の頃から自身で決めていた事なのですが、病院だけでなく生活期のリハビリも経験する「急性期、回復期、老健、訪問」を10年以内に体験することを何となくの目標にしていました。そして、ここアクティブに就職させて頂いて予定通りに全てを経験することができました。


4.仕事での苦労・醍醐味

仕事での苦労は今ところ特にないです。老人保健施設で働いていた頃は「家に帰りたい」と希望される入居者様を、何とかして家に1日でもいいから帰れないかと色々と考えて介入しました。しかしながら、ご自宅の介護状況等の諸事情が重なり、ご自宅には帰れずに入居継続という結果が続いた時には精神的にきつかったなと思い起こします。今は訪問リハビリでもちろんご自宅での生活を中心とし、ご自分らしく楽しそうに生活されている利用者様と接することができているためか、苦労と感じる事が少ないのかもしれません。

利用者様がやりたいことや楽しいと思える生活を支援できた時は大きなやりがいを感じます。また、そこを直接的に支援できるのは作業療法の魅力ではないかと思います。


5.療法士人生に影響を与えた運命の人

このタイトルで思いつく人は、総合実習で担当して頂いたバイザーの先生です。そこはデイケアだったのですが、実習のフィードバックの時間に言われた言葉で、

「僕のリハビリで大事にしていることは自分自身が笑うこと、そして相手にも笑ってもらうこと。QOLが向上しているか低下しているかなんて分からないけど、人が笑っているということは、その瞬間はおそらく楽しんでくれているんだろうと思う。治療技術だったり病気のことを追求したりすることは大事なことだけど、生活の中で笑う事ができているかどうかを考えることも大事なことだ」。

という言葉でした。衝撃的でした。作業療法学生として治療、身体機能が頭の中の中心にあった作業療法計画や評価の思考過程が一気に崩れた瞬間でもありました。もちろん自分の中では利用者様が中心で身体機能は生活機能を担う一部分だという感覚を持っているつもりではいました。しかしこの言葉を聞いた時、本当に“つもり”だったんだと痛感したのを覚えています。この実習で出会った先生のおかげで実習が終了して、作業療法士として臨床に出てからも“笑う”事を大切にできているのかもしれません。


6.心意気実践チームの自慢

活動・参加に焦点を当ててアプローチをする専門特化チームです。私自身作業療法士ですが、活動・参加、これがなかなか難しい。「旅行に行きたい」「遠くに買い物に行きたい」「庭の手入れをしたい」などなど、訪問リハビリで介入をさせて頂いていると利用者様が様々な希望を言われる瞬間があります。しかしそれを形にしようとするとすごく難しい。特に「旅行に行きたい」「遠くに買い物に行きたい」といった希望を叶えようとすると今の介護保険サービス内では提供できていないと思います。利用者様の希望を叶えられるだけの身体機能を身につけようと、身体機能に対するアプローチが中心になっていくということが僕自身は多かったと思います。しかし、心意気実践チームでは活動・参加への支援を具現化するために社内外の資源の活用や無償・自費サービスなど、様々な視点からアプローチを検討し形にしていく行動力というものが自慢だと思います。


7.育児・家庭と仕事の両立の秘訣は?原動力は?

看護師の妻と女の子2人(7歳と5歳)の4人家族です。僕は複数の事を同時にこなすということが非常に苦手なので、恐らく両立が出来ていないと思います。僕が仕事をして、妻が家事と育児をしてくれる、という感じですね。原動力は、家族と行きたいところに行ったり、食べたいものを食べたり、家族がしたいと言ったことをやれるようにするために、そんな希望を実現させるために仕事をしている、という感じです。まだまだ頑張らないといけません。



作業療法士 日野上 貴也さん 略歴

大阪府出身の33歳。看護師の妻と女の子2人(7歳と5歳)の4人家族。急性期、回復期、生活期等の各分野を経験してきた10年目OT。今年1月に入社時から心意気実践チームに所属し多岐にわたる業務を精力的にこなしている。講義でもひときわ声が通る期待の万能型ポリバレントなOT。


〜キャリアインタビューを終えて〜

最近は自分の行動を振り返ることが少なくなっていたのですが、今回のインタビューのおかげで振り返りができてありがたく思います。こうやって自分のキャリアを振り返ってみると楽しく“生活”“笑顔”など抽象的なことを大切にする臨床家になったんだなとあらためて思いました。

これからも利用者様の楽しい生活を支援できるように頑張ります。今回はありがとうございました。


■キャリアインタビュー編集担当より■

急性期、回復期、老健等の様々な職場、領域で経験した逆境や矛盾、不条理に向き合い、課題を見つける視点を持ち、失敗を恐れずに新たな取り組みへの行動を起こせたことが素晴らしいと感じました。利用者様の「帰りたい」に向けて試行錯誤と行動を続けることができています。

日野上さん自身の座右の銘でもある“百聞は一見に如かず”や”病院だけでなく生活期リハを10年以内の経験する”という学生時代からの漠然としたOTキャリアイメージをもとに、着実にキャリアステップを歩まれているのではないかと一緒に働いていて勝手ながらも感じるところです。

老健での勤務時代の逆境や矛盾、不条理に、そう簡単に屈することなくトライ&エラーの5年間の経験を通して、レジリエンス(粘り強さ、打たれ強さ、復元力)の習得を積み重ねてこられたのではないかと思いました。そんな経験が現在の心意気実践チームでの業務に活かされていると感じることが多々あります。弊社に入職前、直後から入念に下調べして準備を怠らず良質な新規事業の営業パンフレットを作成し、参加初回の心意気会議で提示してくれた日野上さんです。

日野上さんはポリバレントOT。ポリバレントとは化学分野の”多価”、複数のポジションを担いこなすことができるプレーヤーの意味です。20062007年にサッカー日本代表の監督を務めていたイビチャ・オシム監督が使ったことから認知された言葉です。現ラグビー日本代表のジェイミー・ジョセフ監督の選手起用法では、選手にいくつものポジションを高いレベルでこなす事を求めてワールドカップで結果を出しています。

京都大学iPS研究所所長の山中伸弥教授は故 元ラグビー日本代表監督 平尾誠二さんのことを、常に感謝の気持ちを持ったレジリエンス(打たれ強さ)の塊と評しています。また山中伸弥教授の研究の恩師は、レジリエンスは感謝することで養える。感謝する気持ちを持てば、様々な困難に打ち克つことができるのではないか、と話されていたそうです。

そういえば、日野上さんもいつも「すいません」、「ありがとうございます」と、感謝の気持ちを忘れずに、依頼のあったどんな仕事にも前向きに取り組まれています。心意気実践チームの仲間としても頼もしい限りです。日野上さんの今後に期待大です!!

人材開発室・心意気実践チームいとう

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