2020年05月12日

話したい意欲を持ち続けること

ふとしたときに、本来ならもう5月場所が始まっていたはずなのになと切ない気持ちになることがあります。
ST水野です。

感覚性失語症の利用者さん、およそ1年ぶりにお会いしました。
私が休んでいたあいだは、他のSTが訪問をしてくれていた利用者さんです。

再開を喜び、近況を聞かせていただきました。

こちらの質問に対し、一生懸命に答えようとされます。
聴き取れない発話のなかに混ざる有意味語、表情・うなずき・首振り・首かしげ・指さし・ジェスチャーなど総動員。
途中、がんばっても伝わらないときは、奥様の顔を見てあごをしゃくり「ちょっと代わりに頼む」と自ら助けを求めることも。

「伝えたい」意欲が高まっているなあ、いいなあと思いました。
失語症の方のなかには、伝えたいけど伝わらない経験を重ねていくなかで、伝えようという気持ちまで失ってしまわれる方がいます。
ことばを待ってくれる人、促してくれる人、確認してくれる人、伝わったよと返してくれる人、周りにそういう存在がいないと、話そうという意欲を保つことは容易ではないのです。

利用者さんの場合は、いちばんの理解者である奥様をはじめご家族のみなさん、デイサービスのスタッフさんや他の利用者さん、訪問看護師さんなど、大変恵まれているのだと思います。

「コロナの影響で娘や息子、孫たちと会えないのが少しさびしい。けど、デイサービスには行けているし、あなたのように訪問して来てくれる人もいる。変わらず自分なりに楽しくやっているよ」(意訳)という内容を伝えてくださいました。

練習で言語機能を上げることはもちろん大切ですが、この人に伝えたい、この人ならわかってくれるという存在をたくさん作っていけるように努めることもとても大切だと思いました。
1年間代行をし、話したい意欲を高める存在の1人であり続けてくれた、後輩STに感謝します。
posted by Active at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ST水野(松原)の日記

わかりあえないことから始める

どうも。
泉北のむろのぞのです。



オンラインによる取り組みを少しずつ実践していきながら、

ダイアローグ(対話)が果たしてオンラインでも可能なのかどうかを、

考えているところです。




このへんの内容は心意気実践チーム・人材開発室の伊藤さんのブログで、

詳細に書かれているのでぜひ読んでみてほしいです。





ちょうど自分も1か月くらい前にコミュニケーションに関する本を読んでおり、

そのなかでダイアローグ(対話)について触れていました。


その本がコレです

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『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力とは何か〜』

著者は劇作家でもある平田オリザさんという方です。



この本では“人と人は基本わかりあえないものだから、わかりあえないことから始めていこうよ”

と、コミュニケーションを少し軽い気持ちで考えてみよう、といった内容です。



海外旅行に行かれた人ならわかるかもしれませんが、

外国の人と会話したとき、ちょっとでも言葉が通じたらむちゃくちゃ嬉しい気持ちになりますよね?

コミュニケーションはそんな程度のものだよ、と著者の平田オリザさんは書いています。




この本のなかで、【対話と対論の違いというテーマが興味深かったので触れておこうと思います。


そもそも両者の言葉の意味は・・・


対話:二人以上の人物間の思考の交流
対論:両者が向かい合って議論すること。またある事柄について対抗して行う議論


とあります。



日本人は対話文化がもともとないといわれており、どちらかというと『会話』

の方が得意な印象です。


会話は相手との関係を構築していく上で必要なものなので、

当たり障りのない挨拶や世間話をすることが多いです。


また多くの日本人は『対話』と『対論』と『会話』を同じようなものとして認識している傾向があるのか、

相手と違った意見を言おうものなら、



「あの人は私のことが嫌いだから私の意見に同意してくれないんだ!」


と負の感情が入りかねない状況がしばしばみられます。


おそらくこれは普段から対話ではなく、会話(相手に同調するようなやり取り)しか経験していないから、

という理由もあるかと思います。






また著者の平田オリザさんがヨーロッパの方と舞台公演の打ち合わせをしていた際、

話し合いの末、平田さんがはじめから話していた意見に近いものになり、

「結局僕の言ってた意見だね」と話したところ、

相手は「いや違う。これは私とあなたが2人で話し合った上で最終的にでてきた意見だから2人の意見だ」

と話したそうです。


このエピソードを読んで私はとても納得がいきました。


Aという意見とBという意見。

はじめにAの意見を主張していたときは、Bの意見の良し悪しはわからなかった。

でもお互いの考えを話し合い、AとBの良い部分、悪い部分両方を理解できた上でAという意見になったのであれば、

それは『A』ではなく『A´(ダッシュ)』である。


『対話』というのはまさにこういうことをいうんだなと感じました。


そしてもっとも重要なのはこの対話は誰も初めからはうまくできないということです。


何度も伝えようとし、それでもうまく伝わらないという経験をくり返していくなかででしか獲得できないものでもあると著者は述べています。


そう考えると、いま実践しているオンライン会議や勉強会に対して「やっぱりオンラインでは伝わらない」

と悲観的に捉えるよりも「対話を積み重ねていくなかでオンラインでもわかりあえるかもしれない」と

考える方が未来は明るいんじゃないかと思えるようになりました。



もっと話したいことはありますが、このへんにしておきたいと思います。

もし興味があれば一度読んでみてください。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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posted by Active at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 泉北(室之園の)日記