作業療法士(9年目) 木田康恵さん(松原)

ボッチャに燃えるMさんと。
「やりたいことが叶えば、確実に人は変わります」。
家に閉じこもっていた利用者さんの外出支援を行ってきたOTの木田康恵(35)は明言した。
木田は今までどのようなきっかけで、支援を行ってきたのだろうか。
木田は三姉妹の長女として、医療職の多い家族のなかで育った。
母も祖母も叔母もそろって看護師で、当然のように木田も看護師になることを勧められた。
「反対に医療系にはすすみたくなかったんです」と木田は話した。
幼い頃より、看護師の大変さを母から感じとっていたからだ。
木田の母はほとんど一人で娘たちを育てたが、夜勤が多く、母が不在のときは木田が妹たちの面倒をみなければならなかったという。
自分が看護師になることは考えられなかった。
木田とリハビリとの出会いは、木田自身がリハビリを受けたことだ。
中学校3年生のとき、腕を骨折した。
腕は曲がる。
曲がるのに髪がくくれない。
下着のホックが留められない。
多感な時期であった木田は、担当していた男性PTに困っていることを言い出せなかったという。
それまで伸ばしていた髪をばっさりと切った。
くやしかった。
この経験はリハビリに嫌な印象しか残さなかった。
子どもの頃からの夢は動物関係の仕事。
しかし、現実には好きなことを仕事にするのは難しかった。
何か資格を取りたいと考え始めて、調べて知ったのがOTだった。
骨折したときに自分がまさに困っていたこと、髪をくくるなど「生活動作」をみるのがOTだとわかった。
ビリー・ミリガン(23人の人格をもつ多重人格障害のある男性)の本を読んでいたときに、OTが出てきて、生活動作だけでなく精神分野もOTの専門だということを知った。
「OTについて知っていくうち、オールマイティーな仕事だなあと惹かれていきました」。
専門学校を卒業して、就職したのはほぼ療養型の病院だった。
退院前の在宅訪問も定期ではなく、書類申請をして面倒な許可を得ないといけなかった。
病院の隣にあるスーパーに買い物練習に行くのでさえ、許可が必要。
療養型病院の患者さんは回復するより、亡くなっていく方が多かった。
食べられても、歩けても、亡くなっていった患者さん。
病院と施設を行ったり来たりしながら、弱っていき、亡くなった患者さんもいた。
「何のためのリハビリなんだ」
もやもやした気持ちが胸のなかでくすぶった。
状態が回復し退院しても、転倒して病院に帰ってくる人も多かった。
疑問が浮かぶ。
「こんなに歩ける人がどうやってこけてくるの?」
「病院でできていることが何でできないの?」
患者さんに聞いても、生活がなかなかイメージできなかった。
患者さんの生活を全く見たことがない状態でOTとして働くことに限界を感じた。
学生時代の恩師の誘いもあり、訪問の道にすすむことにした。
訪問を始めて思ったこと。
「みなさん、病院と家の顔が違うんですよね」木田は具体的な誰かの顔を思い浮かべているように言った。
在宅では利用者さんがホーム、医療者側がアウェイ。
在宅に来て初めて、利用者さんたちの素顔が見えたように感じた。
一方で、こんなことばも利用者さんたちからよく聞くようになった。
「病院ではできていたのに。家に帰ったらできひんくなった」
利用者さんの在宅での様子を見ていくうち、在宅ならではの阻害因子があると気づいた。
療養型勤務のときの「病院でできていることが何でできないの?」という疑問が少しずつ解消されていった。
環境調整や方法の指導で変わっていく利用者さんたち。
「『こける回数が減った』『トイレのスピードが上がったから失敗が少なくなった』、ご家族やケアマネージャーに言ってもらえるとうれしいです。OTのやりがいだなと思います」
木田は心からうれしそうに話した。
訪問を続けていくうちに、在宅ならではの悩みをもつようになる。
「どうせ、月曜日には木田さんが来てくれるから」
「木曜日になればデイサービスに行くから」
利用者さんは介護保険のサービスを利用することで満足し、それ以外の時間は家に閉じこもってしまう。
「どうにかしたい」
若い利用者さんが多いこともあり、何か趣味的活動や楽しみをもってほしいと思う機会が増えた。
利用者さんに様々な活動や外出の機会を提案した。
しかし、提案していると「これは自分のエゴかもしれない」という思いが頭をよぎることもあるのだそうだ。
そんなときは自分自身のことを振り返る。
人生で一番ワクワクするのは、ライブに行くこと。
ライブハウスは夢の国。別世界。
今日は行くのしんどいかなと思っても、行ったら、ああ行ってよかったと思う。
ライブは自分を満たしてくれる場所。
他にも、料理教室に行くと、美容室に行くと、充電できる。
日常のちょっとしたことでも、やりたいことをやれば、満たされる。
利用者さんも満たされる機会が必要だ。
木田が担当している利用者のMさん。
リオパラリンピックのボッチャを見て、自分もやってみたいと奮起した。近隣の障害者スポーツセンターでボッチャができると知ったMさんの目の色が変わった。以前からスポーツセンターに通ってはいたが、行っているだけで行く目標を持てずにいたのだという。
ボッチャのためのちっちゃな目標が複数できた。
ボールから力を離すタイミング、手の力の抜き方がうまくなりたい。
そのためには、骨盤を起こし、肩甲骨を動かすことが必要だ。
短期目標・長期目標がお互いに明確になった。
「長く関わっているとどうしても目標があいまいになってくるじゃないですか。ボッチャのおかげでその状態からぬけ出すことができました」と木田は説明した。
Mさんの奮起をきっかけにリハビリテーションも好転したのだ。
Mさんは大会に出場するまでになり、パラリンピックに出場するのを夢に、練習に励んでいる。
自分だけでなく、他の人にもボッチャの楽しさを知ってほしいと、自分たちのチームを作りたいと考えるようになり、「今はボッチャだけじゃなく、水泳の大会にも出るとがんばっているんですよ」と木田が教えてくれた。
木田はMさんの事例を通して、ガイドヘルパーさんを利用し、外出支援することの大切さも学んだそうだ。
Mさんの変化を間近で見守ってきた木田。
「やりたいことが叶えば、確実に人は変わります。障害があるからやらないのはもったいない」
と大きな目をキラキラさせた。
普段の訪問での関わりだけで、外出にまでつなげることの難しさも感じている。
外出のきっかけの1つとなるのが「アクティブクラブ」のイベントだ。
木田が1年目のときのイベントで、ネイルアートを体験し、それをきっかけに、その後、毎月ネイルアートに行っている利用者さんがいる。
ALSの利用者さんの個別の外出イベントで、受診以外の外出が何年もなかった利用者さんと紅葉を見に出かけた。その後、ご家族だけで、桜を見に行くことができた。
「大人数で外出するイベントもいいですけど、本当に閉じこもっている人を個別に外に出すようなイベントをもっとしたいですね」
チーム一丸となって、1人の人を外出させる。
「2018年にはこの人を外出させよう」みたいな取り組みが年1〜2回あってもいい。
「訪問でしかできない活動レベルのアップがあると思うんです。そのコツをつかんでいきたいと思っています」と木田は語った。
木田は今後、いずれ訪問をやめたら、施設か療養型に戻って、訪問での経験を生かしたいと考えているのだそうだ。
一生を病院や施設で過ごす人もいる。
刺激が少ない病院・施設での生活、多くの方が家族の面会もない。
病院・施設での活動のしやすさや楽しさが増えれば。
「ベッドだけの生活を変えたい。だって、そんなのおもしろくないじゃないですか」
病院・施設は在宅と違って、その方が使いやすく改修することはできない。
みんなが使っているトイレをどう工夫してうまく使うか。
その状況で利用者さんの活動レベルを上げていくのは究極の取り組みだと思う。
「それができるからOTっておもしろいです」
木田のことばにOTの専門性の際立ちを感じた。