人材開発室・心意気実践チームのいとうです。
自身の小説のなかで大きなテーマとなっていた「死」と「生」、死生観について記した池波正太郎さんの一冊から。
"昔の人々は「死」を考えぬときがなかった。いつでも「死」を考えている。それほど世の中はすさまじい圧力をもって、武士といわず百姓といわず商人といわず、あらゆる人間たちの頭上を押さえつけていたのである"
"現代でもしかり。人間ほど確実に「死」に向かって進んでいるものはない"
"しかし現代は「死」をおそれ「生」を讃美する時代である。そして「死」があればこそ「生」があるのだということを忘れてしまっている時代である"
"戦国の世の人たちは天下統一の平和をめざし、絶えず「死」と「生」の両方を見つめて生きている"
"行先がどうなるか、さっぱりわからない"
"私の場合は、これから先、こういうことをやって、それがこうなって、何年か先にはこうなるか、いまは、こうしよう。という生き方ができなくなってしまったらしい"
"行先、何が起こるか知れたものではない"
"人間の営々たるいとなみや、生活設計などは、何か大きな異変が起これば、いっぺんに吹き飛ばされてしまうという想いが絶えずある"
と、記されています。
デイサービス送迎の際に、数名の利用者さまと"死について"話すことがよくあります。
「もう人生疲れたわ」
「よう生きたわ」
「でも死ぬのは怖いね」
「痛くて苦しいのは嫌やね」
「もう少し生きて孫の結婚式を見てみたいわ」
「死に方は選べないもんね」
「死ぬことなんか考えたくないね」
等々…
ある利用者さまも話されていましたが、大震災や台風等の災害時やコロナ禍の今も自分自身が死ぬことを否応なしに意識させられます。
"人間ほど確実に「死」に向かって進んでいるものはない"
池波正太郎さんの死生観からも気付きを得て、今ある「生」に感謝しつつ、生きている意味をあらためて見つめ直し、withコロナ、afterコロナ時代を新たにもう一度生き直すくらいの心がまえでやっていきたいところです。
追記)
デイサービス送迎時は車内でのお互いの距離感に慣れてくると、オープンな雰囲気でいろんなことを話して下さるようになるものです。
何気ない雑談から、"この人なら何を話しても大丈夫"という利用者さまご自身の心理的安全性がきっと確保されるのでしょう。
利用者さまに寄り添う、共感を示す絶好の機会でもあります。