どうも。
泉北 兼 心意気実践チームのむろのぞのです。
今月の本はこちら。
学校に作業療法を
「届けたい教育」でつなぐ学校・家庭・地域
この本には『作業療法士・先生・保護者とチームで「子どもに届けたい教育」を話し合い、協働することで、子どもたちが元気になり、教室、学校が変わる。
先生が自信をもって教育ができれば、障害の有無にかかわらず、子どもたちは必ず元気に育つ。』
と書かれてあります。
著者は仲間知穂さんという作業療法士の方です。
仲間さんは回復期病院に6年間勤務後、作業療法士の養成学校で7年間講師を務め、2009年よりボランティアで学校での作業療法を開始されました。
2016年作業療法士による学校訪問専門の事業所「こども相談支援センターゆいまわる」を設立し、現在は当事業所の代表を務めておられます。
私は数年前までは小児、発達分野には全くといっていいほど興味がありませんでした。
自身に子どもがいなかった、ということも関係していたかもしれません。
ですが子をもつ親という立場となり、日々保育園の先生らと子どものことについて色々と話したりする機会をもつようになったことで、一気に小児、発達分野に興味を持ち始めることになりました。
この本を読んで以降、保育園を「ただ子どもを預かってもらっている場所」という認識ではなく、
「どうやったら先生たちの届けたい保育、教育が子どもに伝えられることができるのか。
そのために自分(保護者)はどういった意識をもち、行動をとればいいのか」という考えに変わりました。
今回は専門書のため、少し内容の濃いものになるかもしれませんが、できるだけスッキリまとめて文章化できるようにしたいと思います。
お時間ある方は是非読んでみてください。
●はじめに
「先生が自信をもって教育ができれば、障害の有無にかかわらず、すべての子どもたちは必ず元気に育つ」
「届けたい教育」に焦点をあてる学校の取り組み
専門家を脱いだら何が残るのか
はじめに、で書かれてあるこの文面にいきなり先制パンチをもらったような気がしました。
専門家として果たすべき役割ももちろんあると思いますが、それ以上に人として、対象の方に「どうなってほしいと思っているのか」「どれだけ相手の可能性を信じ続けることができるか」が根底にないと私達の資格は単なる飾りに過ぎないのではないかと感じました。
●part3 「届けたい教育」の視点
テーマ1 問題解決志向の課題
2)問題を解決しても変わらない生活
「私には二人の息子がいる。高校生と中学生だから二人ともご飯をよく食べるのよ。あなたは『体を無理に動かさないで』と言ったわね。じゃあ誰が夕食を作るの?ヘルパーがいないと動けなかったら、私は自由に夕食を作れないでしょ」
自分がその人の生活や人柄や役割などに目も向けず、身体の問題を治すことだけに専念していたことに気づいた
私が出会う子供達の多くが、終わる事のない問題解決へのアプローチの中で、変わらない生活に苦しんでいます。苦しむのは本人だけでなく、全力で頑張り続けている先生も保護者も同じなのです。
これは著者の仲間さんが病院勤務時代、入院から外来まで関わった患者さんから言われた言葉だそうです。
できないことをできるようにする。危険なことはしないよう助言する。
こういった関わりはリハ職、特に病院に勤務しておられる方であれば決して少なくないと思います。
しかし私たちが対象としておられる方々は残念ながら現在の医療では完治できないご病気、後遺症をお持ちの方もおられます。
こうした関わりを漫然と続けることがどれほど対象者、そのご家族を苦しめることになるのかを、決して忘れることなく私たちは胸に刻んでおく必要があると感じました。
テーマ2 「届けたい教育」に焦点をあてる
2)問題の形は同じでも「届けたい教育」は違う
・「問題行動」の形態は同じでもその先にある届けたい教育はそれぞれ違う
・先生がその子に届けたいことだけでなく、親が学校で出来るようになってほしいと願うことや、その子自身がやりたいこと、できるようになりたいことも含まれる
・その子の将来に向けて、いまかなえたい大切な活動がすべて含まれる
・「問題行動」の解決にすぐには動かず、先生、親、本人の大切な「届けたい教育」を明確にし、目標としてチームで共有してから具体的な評価や情報提供に動きます
3)なぜ「届けたい教育」に焦点を当てることが重要なのか
@チームエンパワメントを引き出す
・明確にされた「問題」の原因はすぐに解決すべきこととして、先生や親の自由な選択を奪うかもしれません
・先生がしたいことであり、本人と親がその生活で望むこと、その「届けたい教育」をかなえるための取り組みはチームに参加する全ての人の自由な選択でもある
・先生が「届けたい教育」をかなえる選択の幅を広げていくことを助けること
・先生が子供たちの問題を感じる行動を、障害や特性などの病理的観点から理解しようとする事の代わりに、生活の困難を乗り越えて、彼らの願望をどうかなえていこうかと、考えていくことに集中できることを大切にしていきます
今回は専門書のため、少し内容の濃いものになるかもしれませんが、できるだけスッキリまとめて文章化できるようにしたいと思います。
お時間ある方は是非読んでみてください。
●はじめに
「先生が自信をもって教育ができれば、障害の有無にかかわらず、すべての子どもたちは必ず元気に育つ」
「届けたい教育」に焦点をあてる学校の取り組み
専門家を脱いだら何が残るのか
はじめに、で書かれてあるこの文面にいきなり先制パンチをもらったような気がしました。
専門家として果たすべき役割ももちろんあると思いますが、それ以上に人として、対象の方に「どうなってほしいと思っているのか」「どれだけ相手の可能性を信じ続けることができるか」が根底にないと私達の資格は単なる飾りに過ぎないのではないかと感じました。
●part3 「届けたい教育」の視点
テーマ1 問題解決志向の課題
2)問題を解決しても変わらない生活
「私には二人の息子がいる。高校生と中学生だから二人ともご飯をよく食べるのよ。あなたは『体を無理に動かさないで』と言ったわね。じゃあ誰が夕食を作るの?ヘルパーがいないと動けなかったら、私は自由に夕食を作れないでしょ」
自分がその人の生活や人柄や役割などに目も向けず、身体の問題を治すことだけに専念していたことに気づいた
私が出会う子供達の多くが、終わる事のない問題解決へのアプローチの中で、変わらない生活に苦しんでいます。苦しむのは本人だけでなく、全力で頑張り続けている先生も保護者も同じなのです。
これは著者の仲間さんが病院勤務時代、入院から外来まで関わった患者さんから言われた言葉だそうです。
できないことをできるようにする。危険なことはしないよう助言する。
こういった関わりはリハ職、特に病院に勤務しておられる方であれば決して少なくないと思います。
しかし私たちが対象としておられる方々は残念ながら現在の医療では完治できないご病気、後遺症をお持ちの方もおられます。
こうした関わりを漫然と続けることがどれほど対象者、そのご家族を苦しめることになるのかを、決して忘れることなく私たちは胸に刻んでおく必要があると感じました。
テーマ2 「届けたい教育」に焦点をあてる
2)問題の形は同じでも「届けたい教育」は違う
・「問題行動」の形態は同じでもその先にある届けたい教育はそれぞれ違う
・先生がその子に届けたいことだけでなく、親が学校で出来るようになってほしいと願うことや、その子自身がやりたいこと、できるようになりたいことも含まれる
・その子の将来に向けて、いまかなえたい大切な活動がすべて含まれる
・「問題行動」の解決にすぐには動かず、先生、親、本人の大切な「届けたい教育」を明確にし、目標としてチームで共有してから具体的な評価や情報提供に動きます
3)なぜ「届けたい教育」に焦点を当てることが重要なのか
@チームエンパワメントを引き出す
・明確にされた「問題」の原因はすぐに解決すべきこととして、先生や親の自由な選択を奪うかもしれません
・先生がしたいことであり、本人と親がその生活で望むこと、その「届けたい教育」をかなえるための取り組みはチームに参加する全ての人の自由な選択でもある
・先生が「届けたい教育」をかなえる選択の幅を広げていくことを助けること
・先生が子供たちの問題を感じる行動を、障害や特性などの病理的観点から理解しようとする事の代わりに、生活の困難を乗り越えて、彼らの願望をどうかなえていこうかと、考えていくことに集中できることを大切にしていきます

図左)特性への対応に焦点を当てた巡回相談
図右)届けたい教育に焦点を当てた巡回相談
中心となるべきは我々療法士ではなく、子どもであること。
専門知識や技術を持っていることで、どうしてもすぐに課題や問題が見えてしまうのが専門職というもの。
しかしそこで専門職である我々が話し出してしまっては素人である先生や保護者の方は何も言えなくなると思います。
評価や情報が先ではなく、まずその子に対して親御さん、先生がどういった教育を届けたいと思っているのか。
そしてその子が何をやりたい、できるようになりたいと思っているのか。
そこがチームで共有されてはじめて私たちの専門性が必要とされるんだなと感じました。
●part4 協働関係を築く目標設定
テーマ1 みんなで決める目標
2)目標設定の不安
・暗黙の了解として存在する「支援」という言葉を、私たちは問い直す必要がある。
「支援」という言葉が存在すると、支援する側と支援される側の関係性が生まれます。
・問題に直面する側の人の生活の保障が多い
テーマ2 視点を「届けたい教育」に変えていくための面接
1)目標設定の目的を共有する
不安に感じたり、問題を感じたりするのは、皆さんが本当はこうなってほしいと強く願うことがあるから。
それが出来ない状況に問題や不安として感じている。できるようになってほしいと思っていることを目標にしていく
6)目標がかなった先の期待する生活を共有する(長期目標)
視点が問題行動の解決だけに向いている時は、将来を期待するという視点をもちづらく、長期目標の立案も視点を変えていく過程が必要になります。
この本を読むまでは、私も当たり前のように「支援」という言葉を使っていたと思います。
こうした言葉一つひとつを大切に扱うか否かで、気がつかないうちに対象者の方との主従関係ができあがっていってしまうのではないかと思うと恐怖を感じました。
目標設定について、私たち療法士はどうしても「できないことをできるようにする」という視点が強くなりがちです。
確かにそういった視点は大切ですが、やはり子どもの将来をどれだけ明るいものになるよう期待することができるか、
というプラスの視点を持つ方がチーム(ここでは先生や親御さん)で目標を共有していくことがより現実的になるのではないかと感じました。
●part5 チームでかなえるための情報共有
1)活動単位ではなく工程(行為)単位で見るー作業遂行を評価する
表1 課題と工程と目的志向的行為
4)学校と連携する取り組み
〔@ 先生の期待するクラス作りを知る〕
〔A 担任の先生の教育の実現に向けてクラス全体を評価する〕
善悪の判断をせずに1つの現象として見ていきます。
行動から子供たちの状況を把握していく
〔B 先生と協働的に取り組むクラスづくり〕
「できないから配慮する」のではなく、「期待すること、できるようになってほしいことを実現するために教育の届け方を先生が自由に作り出す」という考え方にもとづいています。
1つの課題を各工程に分けて考え、その子が何ができて、何が苦手なのかを知る。
作業療法ではこれを作業遂行評価と呼びます。
この作業遂行評価をもとに苦手な部分をただ介助するのではなく、どう工夫すればできるようになるのかを考えることが大切であると感じました。
また、できるようになるためにはその子(人)だけにフォーカスをあてるのではなく、その子がいるクラス全体(環境)やその子が期待されている活動(作業)と、
それぞれが組み合わさることでどのような相互作用が働くかを考えていくことが作業療法士には求められていると痛感しました。
6)「卒業」がもたらすエンパワメント
@ゆいまわるの「卒業」とは
「完全に成長した卒業」ではありません。「この生活(環境)で育てていける(成長が期待できる)=卒業」なのです。
ゆいまわるさんが目指すものは作業療法士がいつまでも関わり続けることではなく、
先生や親御さんたちで届けたい教育やその子が期待される活動に参加できるようになることである、と話しておられました。
この卒業という視点は私がいる高齢地域分野にも十分繋がる話であると感じます。
私たちが常に関わり続けなければ、その方がしたい作業、することが期待されている作業に取り組むことができない。
おそらくそれでは依存体質を生み出すことになるのではないかと感じます。
作業療法士は自分自身もその方にとっての環境因子であるとメタに捉え、常に自分の関わり方一つ一つを意識していく必要があると感じました。
以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。