人材開発室のいとうです。
"介入"という言葉。
私たちはリハビリテーションの現場で何気なく使っていないでしょうか。
この記事はリハビリテーション専門医岡本五十雄先生からの問題提起です。
いま一度、自分たちが使っている言葉を考え直す機会になればと思います。
「医療の分野で使っていいのだろうか」
1,介入
問題・事件‣紛争などに本来の当事者でない者が強引にかかわること(広辞苑)
事件や争いなどに割り込むこと(三章堂 大辞林)
当事者以外の者が入り込むこと。争いやもめごとなどの間に入って干渉すること(goo辞書)
@ 臨床現場で使われる介入
私たちの仕事の分野でこの言葉に違和感を覚えたのは15〜16年前くらいからでした。それが時と共に、頻繁に使われはじめ、使わなくてもいいのに、使っているのに心が痛んでいました。
どんな使われ方をしているかというと、理学療法介入(の結果)、作業療法介入(の結果)、言語療法介入(の結果)、治療介入やリハビリテーション介入など、全国学会でも地方会でも此見よがしに使われているのです。
これらは、介入を入れないで理学療法、作業療法、言語療法、治療やリハビリテーション治療の結果で十分なのに、介入という言葉を入れて、勝手に入り込む療法という意味にしています。医療は患者さんとの協力、協同で行われます。この言葉は使ってはいけない言葉なのです。カンファレンスの時に多くの療法士がこの言葉を使います。私はその都度諭します。
以前に日本リハビリテーション医学会にもこの問題についての意見をあげたことがあります。
A医療・福祉関係では、Interventionの適訳は国語力が問われる
このように介入は医療現場では使うべきでないと考え続けてきましたが、日本福祉大学名誉教授二木立先生の「二木立の医療経済・政策学関連ニュースレター」(通巻184号、17ページ(2019年11月)に『Intervention』を日本語に訳するときに介入という言葉を使うべきでないこと、訳すときの状況に応じた適訳が必要であることが紹介されており、これには大いに感動しました。二木立先生の文章をそのまま紹介します。
○渡部律子(日本女子大学教授)「援助・支援 ソーシャルワーカーとクライエント…が出会い、そこで展開されていく問題解決・軽減のための活動をソーシャルワーク援助と呼ぶ。英語圏では、日本語に訳すと『介入』となる『Intervention』という用語が使用されることもあるが、この日本語は両者の関係が対等ではないという誤解を招くこともあるので本書では使用しない。本書では主に援助を使うが、時に支援という用語も同様の意味で用いる」(『福祉専門職のための統合的・多面的アセスメント−相互作用を深め最適な支援を導くための基礎』ミネルヴァ書房,2019,20頁「用語の定義」)。
二木コメント−私も以前から「介入」という日本語表現が気になり、大学院生や若手研究者が社会福祉・ソーシャルワーク分野の研究計画等で「介入」を使った時には、「支援・援助が適切ではないか?」とコメントしていたので、多いに共感しました。今回Googleで調べたところ、interventionの動詞interveneの本来の意味は「間に入る」「介在する」(inter=間・中+vene=来る)という中立的意味であり、日常用語として干渉、押しつけ等のマイナスイメージがある「介入」は、専門用語としても使うべきではないと改めて思いました。医学論文のinterventionは、なかなか良い訳語が思いつきませんでしたが、本「ニューズレター」183号の英語論文抄訳欄の冒頭で紹介した論文では、試みに「働きかけ」と訳してみました。また、以前から、"treatment intervention" "intervention group"はそれぞれ、「治療介入」ではなく「治療」、「介入群」ではなく「治療群」と訳しています。
さすが二木先生です。ここまでの英語力と国語力なのです。
B 翻訳は国語力
翻訳には国語力が問われるといいます。いくら英語が上手でも、日本語を駆使できる能力を持っていなければ、とんでもない間違いを起こします。英語を本当に理解するためには、日本語力を身につけなければなりません。それは、幼少の頃から必要なことです。いくら幼少期から英語だけを学んでもよい日本語は身につきません。
余談ですが、若いときに、ベトナムの傷痍軍人大臣から頂いたベトナムのリハビリテーションを訳したとき「ベトナムは飛行機による激しい爆撃を受けた」と翻訳しました。先輩に、それは「空爆」だよと指摘され、己の国語力の低さを痛感したことを覚えています。
2,用語の変遷
@めくら将棋→目隠し将棋に
以前には「めくら将棋」と言われました。めくらという表現が差別用語とされてから、目隠し将棋となったのです。目を被うように鉢巻きをして、将棋を指すのです。当然、将棋盤や将棋の駒は全く見えません。駒の位置を言葉で対戦相手に伝えて指すのです。ほとんどのプロの棋士は可能です。しかし、多少弱くなります。よく間違えるのが、歩の数です。そのため、指を折って、歩の数を確認しているといいます。一歩でも間違えると詰ますことができなかったり、また余分に使ったりして、負けとなります。
ついでですが、このように目隠しでも将棋の駒の配置は記憶を頼りにできるのですが、それをゴボウ、ニンジン、大根などの形をした駒をおいて、その駒を前に進めてもすぐ記憶は途切れてしまいます。
なれたものの記憶は難しくても残り、不慣れなものは単純なものでも記憶に残りにくい。不思議ですね。
Aつんぼ桟敷
江戸時代の劇場で、正面2階桟敷の最後方の席。現在の3階および立見席に当たる所で、役者のせりふがよく聞こえない観客席。見巧者が多く集まるので俳優には重視され、「大向う」といわれる。A転じて、いろいろな事情を知らされない状態(広辞苑)。
つんぼという言葉が差別用語となり、耳の日自由な人となりました。
つんぼ桟敷の言い換えや類語には中間はずれ、かやの外、つまはじき、村八分、疎外などがあります。これらの言葉を使っても、言葉の響きはいまいちです。この言葉は、「声の聞こえない桟敷」から「つんぼ桟敷」になったといわれ、これからは「声の聞こえない桟敷」という表現になるのでしょうか。すきっときませんね。だからといってつんぼ座敷が
よいわけではないのですが。
この記事は、リハビリテーション専門医の岡本五十雄先生(北海道のクラーク記念病院)のメールマガジン『リハビリテーション、医のこころ』より、岡本先生から許可を得て原文のまま転載させていただきました。
岡本先生、ご厚意ありがとうございます。
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http://active-nopsj.sblo.jp/s/article/187192547.html