2020年05月25日
ピンチをチャンスに変えて、今できることを。
2020年05月22日
何でも楽しめる力。
サッカー選手の遠藤保仁さん(ガンバ大阪)は、”何でも楽しむ技術”を提唱しています。遠藤さんの信念は、”いつでもどんな状況でも楽しむこと。”楽しい”という気持ちがなければ、サッカーはいいプレーができないし、成長もしません。もし、サッカーを楽しくないと感じたら、サッカー選手としてはやっていけないでしょう。何事も楽しみを取り入れることが物事を続ける秘訣です。いつでも、どんな状況でも楽しむためには”やりたくないときにはやらない”というのも考え方のひとつです。また”将来の自分は今の自分の積み重ね”とも...著書やインタビュー記事のなかで書かれています。
▼「何でも楽しむという技術」(プレジデント)はこちら↓
https://president.jp/articles/-/24055
「何でも楽しめる力」、「何でも面白がる力」のある人は、前向きさや転換力、許容力があり、嫌なことも自分の興味・関心の中に持ってくることができ、“個性化”できるといわれています。
キャリア・トランジション・モデルは利用者支援にも生(活)かせるのでは。
1.キャリアに方向感覚をもつ(夢をもつ,節目ごとの夢の修正)
2.節目だけはデザインする(何が得意か,何をやりたいか,何に意味を感じるかを自問)
3.アクションをとる(元気を持続,よいがまん,頑張ってアクションを続ける)
4.ドリフトも偶然も楽しみながら取り込む(安定期は流されるも良し,偶然の機会も生かす)
2.の“節目だけはデザインする”は,利用者さま支援でも活かされる視点です.
キャリアアンカーを提唱した組織心理学者のエドガー・シャイン博士の三つの問いでは
http://active-nopsj.sblo.jp/s/article/183450707.html
これらも利用者さまの人生や仕事生活をこれから一緒に再構築していくには,欠かすことができない問いではないでしょうか.
2020年05月16日
続)吹田でのオンライン・ダイアローグ。その特性とは…
○オンライン・ダイアローグの特性○
→画面を介しているためかフラットな関係性になりやすい
→話し手の心理的安全性↑
→話し手と聞き手が画面に慣れるとお互い話しやすくなる、遠慮がなくなり話し出すと止まらなくなる、アイディアが浮かびやすい
オンライン・ダイアローグで話していると、この日もたくさんの前向きな気付きを互いに共有できました。
2020年05月05日
ONLINEダイアローグ コミュニケーションの第四の道
2020年04月28日
オンライン新人研修会@吹田ダイアローグ
「もっと早く仕事に慣れたい」
「役に立てるようになりたい」
「他の新人の方々にも負けたくない」
「職場から帰っても一人だから帰りたくない」
「でも、アクティブに来てよかった」
馬場さんもストレッチの本を買ってみて、自分自身の腰痛改善や利用者様にも活かすことができるかなと、考えて動いたとのことです。
実際に利用者様にも試すことができてきているそうです。大きな進歩です。
2020年04月20日
新たな試み。こんな時だからこそ対話。


2020年03月27日
2020年度入社式。

2020年03月20日
なぜ社内メルマガ配信を続けるのか?
社内メルマガは2017年7月20日に創刊、配信開始しました。
日々の皆さまの取り組みの積み重ねと公式ブログ等の記事制作のご協力のおかげで2020年4月号が第33号となりました。
創刊当初より下記@〜Bを本メルマガ配信の目的及び目標としています。
@ひと(職員、利用者、家族)にスポットライトをあてること
A社員の皆さまに会社の今とこれからの動きを見える化すること
B社内コミュニティの形成(人と人がつながるソーシャルキャピタル*構築)に向けた働きかけをすること
*職場のソーシャルキャピタルが高まると職員の健康や心理的安定性、生産性、規範意識が向上し、イノベーションが起こりやすくなる
○社内メルマガの目的と目標、ねらい
○職場コミュニティづくりと職場のソーシャルキャピタルの関係性とは
○今後の取り組み案
○社内メルマガに関する社内アンケートの実施で効果の検証、その結果及び課題の抽出
⇒2020年度中に取りまとめ予定、2021年度の学会等で 「なぜ社内メルマガ配信を続けるのか -第2報-」報告予定キャリアインタビュー「苦手なものもあるけど楽しめる、楽しめそうやと思っています」作業療法士の蠟野(ロウノ)祐真さん
社内メールマガジン〜アクティブ流〜2020年4月号のキャリアインタビューでは、作業療法士養成校から卒業後すぐに弊社に入職し、作業療法士として奮闘中の蠟野(ロウノ)祐真さん(3年目、入職年月:2017年4月、所属:堺)からお話をうかがいました。
1.今の仕事に至ったきっかけ、経緯
看護師の母の影響もあり、看護師を志望していました。高校卒業(機械材料創造科)後、すぐに看護助手として1年間働きました。少しずつ仕事に慣れ始めた頃、輪番制の現場のリーダー業務に追われていました。そんなある日、患者様を転倒させてしまう事故を経験しました。幸い患者様は大事には至りませんでしたが、そこで初めて高卒後すぐに無知のまま医療介護の現場で働く状況がとても怖くなりました。その頃に勤務していた病院のリハビリテーション室で、作業療法士さんが患者様と卓球をしているのを見て、”楽しそう”、”病院の中でもこんな仕事があるんだ”と思ったことが、看護師志望からOT志望に変わった理由です。1年で看護助手の仕事を退職し、OT養成校へ入学しました。通学しながら別の病院での介護職の仕事を2年間経験しました。
アクティブを就職先として選んだ理由は、アクティブデイサービス堺での実習生時代にお世話になったOT井上さん(堺デイ主任)の考え方に、自分自身が思う療法士像が少し見えてきたと思ったためです。それは既に行かせて頂いた病院等での実習先では感じなかったことで、実習を修了しても将来的な療法士像が見えないままでした。OT井上さんの訪問やデイでのお仕事ぶりは、利用者様その人の生活の中での活動面に焦点化されていました。そのなかでも訪問利用者様への畑での農作業を取り入れた関わりを通し、楽しみを提供できたことで、利用者様も楽しそうに活き活きとした表情をされていました。
2.今の仕事、働き方
デイサービス:水曜日PM、金曜日PM、土曜日
訪問:月〜金曜日AM
休み:火、日曜日
3.仕事の魅力、やりがい、苦労
仕事の魅力としては、自分自身が担当として関わらせてもらったことで、利用者様の生活に活気が出た時だと思っています。
訪問看護・リハ利用者で股関節の人工関節置換術の方は、術後長距離歩行が難しくなり自宅内の役割でもあった買い物に行く事が困難になりました。そこでカゴに杖を入れ自転車を押しての歩行訓練を提案し実施しました。生活場面においても、お一人で自転車を押して買い物に行けるようになられました。徐々に行動範囲が広がり、少し遠くの方のスーパーまで買い物に行かれるなどの報告を嬉々として話される姿を見るととても嬉しい気持ちになります。現在はリハビリの担当として携わらなくなりましたが、時折お話しする機会があり、現在では行きの荷物のない時だけ、自転車に乗って買い物に出かけているとのことで、転倒のリスクは理解した上で実施されているとのことです。
デイサービス利用者様で圧迫骨折後の坐骨神経痛により、長距離歩行が困難になっていた方です。リハの初期では円背姿勢で買い物用のキャリーバッグを引いて移動され、長時間の移動は困難でした。そのため、眼科などの通院ができなくなっていました。歩行器の使用を促すも「無理無理」など否定的な発言が多く聞かれました。しかしながら施設内での歩行練習から始めて、徐々に短距離の屋外歩行へ移行したことで、移動における労力が少ないことを理解されました。そのこともあり、ご自身でCMに相談して歩行器をレンタルされました。歩行器のレンタル後は、以前からの趣味であった絵を描くことに着目し、歩行距離の拡大、趣味活動の再開を図りました。リハビリの時間では緑道まで一緒に歩行で移動してもらい、絵を描いたりして関わりました。百舌鳥古墳群をみなさんで巡った昨年のアクティブクラブは、長距離歩行での移動を実践する場になりました。事前に当日の計画を話し合い、日本庭園に咲いている花の写真を撮り、後日にそれらの絵を描くなど実施にまで至りました。長距離移動への自信が得られ眼科受診にも定期的に通われるようになりました。現在では同じマンションの方と一緒に受診へ行かれるなど生活においても変化が見られておりとても嬉しく思います。この仕事にやりがいを感じることができる経験となっています。
利用者様が求められる理想像がとても高いものの、ご自身の自主性が低いためか、自分の力不足のためか、自主トレ等の実施が進まないケースに難渋しています。限られた訪問時間のなかで成果を上げていくことの難しさを感じています。もっと自分の引き出しを増やすなど、自分のほうでも何とか工夫できないものかといつも悩んでいます。
4.仕事をしていくうえで大切にしていること、心がけていること
よい関係を築いていけるように、会話は特に大事にしています。リハビリが辛いものにならないようユーモアも大切にしていきたいです。
5.入職前にイメージしていたやりたかった仕事はできているか?
入職当初は、デイサービスのリハ内容はADLやQOL向上への関わりが多いと思っていました。しかし実際はROMやストレッチ等の身体的な関わりの方が利用者様からのリハ需要として高かったことには少し驚きました。現状に満足している利用者様も多いと感じますが、自分もデイでリハを担当するようになり、利用者様側だけでなくリハ担当者がADLやQOLに向けた具体的な目標や目的を見えていないことにも起因するのではと考えるようになりました。
1〜2年目はイベント企画(認知症カフェの”あれそれカフェ”、アクティブクラブ、調理イベントなど)を通して、利用者様のADLやQOL向上にむけた個別的なニーズに働きかけることができたかと思います。
3年目になり訪問に行く機会が増え始めています。入職前にイメージしていたやりたかった仕事ができているか今はまだよく分かりませんが、自分なりに頑張っているところです。
6.アクティブで働いて成長実感、成長予感を感じることができているか?
成長実感は自分自身でははっきりとは分かりませんが、デイサービスに自分の後輩となる新人療法士も加わり、訪問に行く事も増えてきています。継続して訪問リハビリに入らせていただけているということから、利用者様やケアマネージャーさん、職場の皆さんから少しずつ信頼されてきているのではと考えています。このことから信頼を得るといった点においては成長を実感しています。成長予感については、療法士を続けていくうちはゆっくりでもいいので確実に成長していければと思います。その点は1年目と今も変わらない思いを続けています。
7.これからの仕事でチャレンジしたいこと
作業療法士としてのスキルアップはもちろんです。ぼくは昔から”パン屋をしたい”、”看護師になりたい”等、興味あることや好きなことが尽きない方です。ロールアートでぼくが絵を下書きして、利用者様と様々な作品を作っているところです。少しずつ色々なこと(好きなことや経験してきた絵、アロマ、溶接…)にチャレンジしていけたらと思います。「たいていのことは何とかなる」を座右の銘にしてチャレンジしていきます。
8.わたしの堺事業所自慢
突拍子もないこともOT塚本さん(堺事業所運営責任者)とOT井上さんがフォローして下さるのでいつも助けられています。ありがとうございます。
9.インタビューを受けてみて
仕事のなかで色々と大変なことはありますが、自分自身の原点を忘れずに今日を頑張っていきたいと思います。まだまだ分からないことが多く迷惑をかけすることがあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。
作業療法士 蠟野 祐真さん 略歴
大阪府出身。2017年3月大阪医専OT学科卒業。
自らの得技を活かした蠟野さんならではの関わりで、地域の利用者さまやご家族さま、ケアマネジャーさん、職場の仲間からも常に高い評価を得ている生活期・在宅OT。利用者さまの生活課題の改善に向けたより個別的な関わりを果たすことができたケースについて、今年11月のリハケア合同研究大会in大阪での報告を予定しています。
☆先輩OT井上さん(堺デイ主任)からのひと言☆
学生時代は多くの学生は利用者様をみるリハ視点において、心身機能に偏りがちになるなか、蠟野さんは少しの声かけや配慮で活動と参加にもバランスよく意識できる学生でした。また、当時から利用者様やスタッフに慕われていたように記憶しています。私も学生さんの指導に多く関わってきましたが、一緒に仕事をしたいと思える一人でした。入職後は時折忘れ事や腰が重いようなことがあります(笑)が、周りからも好かれ、時には頼りになる堺事業所には欠かせない人材です。今後も訪問リハはもちろん地域活動での活躍も期待しています。
☆キャリアインタビュー取材・編集担当より 伊藤健次郎(人材開発室・心意気実践チーム)☆
「何でも興味あります」と屈託なく笑顔で話してくれた蠟野さんです。今回のインタビューを通して、蠟野さんの”何でも楽しめる力”を感じました。それは生活期・訪問リハ人材としても大きな才能と感じました。「苦手なものもあるけど楽しめる、楽しめそうやと思っています」と力強い言葉がありました。
サッカー選手の遠藤保仁さん(ガンバ大阪)は、”何でも楽しむ技術”を提唱しています。遠藤さんの信念は、”いつでもどんな状況でも楽しむこと。”楽しい”という気持ちがなければ、サッカーはいいプレーができないし、成長もしません。もし、サッカーを楽しくないと感じたら、サッカー選手としてはやっていけないでしょう。何事も楽しみを取り入れることが物事を続ける秘訣です。いつでも、どんな状況でも楽しむためには”やりたくないときにはやらない”というのも考え方のひとつです。また”将来の自分は今の自分の積み重ね”とも...著書やインタビュー記事のなかで書かれています。
▼「何でも楽しむという技術」(プレジデント)はこちら↓
https://president.jp/articles/-/24055
非常に有能な職業人を調べた膨大な数の調査により、与えられた任務に強い信念を持って臨み、仕事を楽しんでいることと、仕事で高い能力を発揮することの間には強い相関関係があることが明らかになっています。米の経営管理が専門のロバート・スティーブン・カプラン(ダラス連邦準備銀行頭取兼CEO)は著書「ハーバードの自分を知る技術」(CCメディアハウス)と共著「セルフ・アウェアネス」(ダイヤモンド社)“仕事にしたい好きなことを見つける二つの方法”にて、最終的に成功する人は自分が好きで情熱を注げることを仕事に結び付けている。知的能力とスキルだけではある程度までは成長できても、頭打ちになる。そこを乗り越えるには”好き”という気持ちが欠かせず、それが進み続けるためのガソリンだ、としている。さらに、そこで重要なのは自己を認識すること、セルフ・アウェアネスである、それを深めることで自分が好きなことがもっとわかるようになる可能性がある、としている。
蠟野さん自身が、実習生時代に作業療法士としてのキャリアをイメージした時に、ベンチマークとなったのがOT井上さん(堺デイ主任)でした。蠟野さんの仕事ぶりに大きな影響を及ぼしていることがインタビューを通して感じ取れました。入社当初はもちろん新人療法士だった蠟野さんには、リハ専門職として、OTとしてのキャリアの目標となるベンチマークだった井上さんの存在は、仕事を進める上で心の拠りどころにもなっていたのではないしょうか。
それに蠟野さん自身が持つ大きな才能でもある”何でも楽しめる力”がプラスに働いたことが、弊社のイベントで特技のアロマセラピーや絵画を用いる等、1年目から自分の”好きなこと”を仕事に結び付けることができた大きな要因と感じました。蠟野さんは、自己認識する力、セルフ・アウェアネスを深めつつ無意識にというよりは、むしろ有意識で意図的に利用者様への関わりにつなげているように思いました。
▼「あれそれカフェ 〜アロマ教室〜」
http://active-nopsj.sblo.jp/article/182333195.html
▼「アクティブクラブ 〜日本庭園と大仙公園で花見と散策〜」
http://active-nopsj.sblo.jp/article/185908740.html
▼「自主グループ“釣り部”」
http://active-nopsj.sblo.jp/article/186628280.html
弊社デイサービスでの個別機能訓練では、療法士が担当し30分の心身機能、活動、参加へ働きかけています。心身機能への関わりにより、痛みを軽減したり姿勢を修整する等、身体や心のメンテナンスを図ります。これらの関わりをベースにし、ご自宅での身の回りのことや家事、趣味等の活動、参加を継続できている利用者様も多くおられ大切な関わりとなっています。このようなことも一因となり、身体的な関わりがデイサービスでのリハ需要として依然と高い現状があるのかもしれません。身体的な関わりも大切にしつつ、利用者様のADLやQOL向上への個別的ニーズにお応えしようと、自分の引き出しを増やし専門性を拡げながら作業療法士3年目の今を奮闘している蠟野さんでした。インタビューへのご協力ありがとうございました。
「何でも楽しめる力」、「何でも面白がる力」のある人は、前向きさや転換力、許容力があり、嫌なことも自分の興味・関心の中に持ってくることができ、“個性化”できるといわれています。これらがあれば、つまらないはずだったいつもの“書類作り”が、ひと味違った“書類創り”へと変わりそうです。
http://active-nopsj.sblo.jp/s/category/4404545-1.html
▼大阪障がい者ゴルフチームフェニックスの公式HPはこちら↓
https://odgt-phoenix.jimdo.com/
2020年02月23日
「障害受容」から考える研究会。
「頑張るという言葉は、使い方と人による使い分けで十分に生きてくる」

2019年12月20日
社内メールマガジン〜アクティブ流〜2020年1月号のキャリアインタビュー後編 「クライアントのニーズをお聴きすることを大切に」作業療法士の内島 聖子さん(吹田)
▼前編はこちら↓
前編からの続き↓
*影響を受けた利用者さん
“利用者さま自慢”という元々のインタビュー項目でしたが,わたし自身のなかで自慢というのが,
誰というはなくて,利用者すべての皆さまと日々感じているからです.
わたしがこの場にいれるのも皆さまのおかげという気持ちと“われ以外全てわが師”という気持ちから“影響を受けた利用者さん”に変更させてもらいました.
Kさんは脳梗塞発症後,左片麻痺が残存されています.弊社のデイと訪問リハを開始された約4年前は歩行や日常生活動作共に介助を要することが多く大変な状況だったそうですが,現在は屋内独歩・屋外杖歩行見守りレベルで,最近は家庭内役割として食器洗いや洗濯も毎日行われています.
“もういいかなぁと思って・・”と時には元気がなくなることがあってもご家族様と共に明るく前向きに日々の生活やリハビリに取り組まれています.
リハビリで関わらせていただいている中で,生活期であっても心身機能共に良い方向に変わっていけるということを直に教えて頂いています.
*好きな音楽
最近はアロハチックな音楽
*これがないと生きていけない
ひたすらボーッとする時間
*インタビューを受けてみて
インタビューをしていただいたことでリハ職に至るまでの自分なりのプロセスを振り返ることができ,これからの私の仕事人生を考える良い機会をいただきました.ありがとうございます.
作業療法士 内島 聖子さん 略歴
大阪府出身の40歳代の女性OT。フリーランスのデザイン業を経て,OTに.1年目から精力的に様々な勉強に参加し,自己研鑽を積みOT養成校に入学する前から志望していた在宅分野,訪問リハの仕事に2年目から本格的に従事.担当利用者数を順調に伸ばしています.弊社OT部門のこれからを担う貴重な人材です.
□インタビュー記事編集委員から□
●デザインとリハビリテーション,OTの仕事の接点は?
「designはde(先へ,外),sign(記す,記号)という語源があり,“未来にアンカーを打つこと”と教わりました.アンカーとは"きっかけ作り"という意味合いになるかと思います.また“デザインは装飾ではない課題解決のためにデザインする”と教わり,この二つの言葉はリハビリテーションやOTの仕事との接点だと思います」
「デザインの仕事では,クライアントのニーズをお聴きすることを大切にしていました」
「クライアントとの対話は一見すれば遠回りのようで,はじめは時間を要しますが,最終的にクライアントに高い満足感を得てもらうには一番の近道であるとわかったから」
と,内島さんから聴いたデザインの仕事のお話しから,リハビリテーションや医療福祉現場での,クライアントとの対話や傾聴,面談者の肯定的かつ共感の姿勢等を大切にする来談者中心療法(パーソン・センタード・アプローチ)とのつながりを感じることができました.
先日参加したリハビリテーション・ケア合同研究大会での講演「共生社会に向けたデザインの力」
荒井利春先生(荒井利春実験工房代表 金沢美術工芸大学名誉教授)が,
「対象者の方のユニバーサルデザインを考える時に,チェックシートは用いない.現場で当事者の方が感じている違和感や切実感がデザインのエネルギーになる.連帯感が生まれる」
「当事者の方々と対話を重ねてするトライアンドエラーが関係性をつくる.そして使ってもらう」
「こうしてくださいと,セラピスト側がデザイナーに投げるのではなく,ともに創造してください」
と,話されていたことを思い出しました.
それらの視点が利用者さん,患者さんとの対話を通して,課題解決への道を一緒に探索するデザインとリハビリテーションの共通の接点ではないでしょうか.デザインの視点から学び取り,リハビリテーションに大いに活かせるはずです.
▼Design for allとデザイン思考
https://www.bp-musashi.jp/mochi_code/arichives/170821/index.html
●双方向のエネルギーの還流によるお互いの成長とは…
今回挙げてもらった影響を受けた利用者さまとの関わりをみていて,内島さんも利用者さまもお互いが成長する機会となっていたように感じました.
左片麻痺で心身機能の回復はできても家庭内で役割を再獲得までにはなかなか至らない利用者さまでした.内島さんは,ご家族にも熱く深く突っ込んで関わったことで,お互いが共鳴しあいご飯作りや食器洗い等の家事の役割分担の再獲得までの支援を果たされました.
わたしもその利用者さまの元担当者ということもあり,その方との双方向のエネルギーの還流を感じた一人です.
内島さんもわたしも大好きな一冊の「かかわり方のまなび方」(西村佳哲著,ちくま文庫)では,“人が人とかかわり合う,ということ.互いに力を与え合う有機的なかかわり合いを通じて,“育ち合う関係性”と“自分の仕事”にもつながると,結びに記されています.
内島さん自身から根源的に溢れ出す生命力ある利用者さまへの関わりが,互いの成長に向けたより良い関係性と自分らしい仕事にも良い影響を及ぼしているように感じました.
内島さんが弊社に就職されたのは,一冊の本を通して生まれたご縁があったからです.有り難いことでとても嬉しく思っています.“育ち合う関係性”や“双方向のエネルギーの還流”等,本に書かれているような仕事の仕方を実践できているのか,これからも検証を続けてまいります.
15年間のフリーランスのデザイン業を経験し,いろんな人と協働で仕事をする環境にも興味を持つようになり,
「2010年.40歳になる頃から職業人生の半分地点という意識がありました.あと半分をこの仕事でいくか,違う職業をしてみるか,今までの歩みを振り返りながら大いに考えました」
という内島さんのお話しがありました.
上記のようなタイミングがまさしく“人生の岐路に立っている,今こそ節目”キャリア・トランジション(人生,仕事生活の転機)といわれる時だったのかもしれません.リーダーシップやモティベーション,キャリア等の経営学の権威,金井壽宏教授は著書「働くひとのためのキャリア・デザイン」(PHP新書)の中で,以下のキャリア・トランジション・モデルを提唱しています.
1.キャリアに方向感覚をもつ(夢をもつ,節目ごとの夢の修正)
2.節目だけはデザインする(何が得意か,何をやりたいか,何に意味を感じるかを自問)
3.アクションをとる(元気を持続,よいがまん,頑張ってアクションを続ける)
4.ドリフトも偶然も楽しみながら取り込む(安定期は流されるも良し,偶然の機会も生かす)
このモデルは人生,仕事生活のなかで忘れずにしたいところです.
2.の“節目だけはデザインする”は,利用者さま支援でも活かされる視点です.利用者さまやご家族にとっては,病気や障害により,人生,仕事生活の大きな岐路に立たされ,節目だと思います.
キャリアアンカーを提唱した組織心理学者のエドガー・シャイン博士の三つの問いでは@何が得意かA何をやりたいかB何に意味を感じ,社会に役立っていると実感できるのか,を自問します.
利用者さまの人生や仕事生活をこれから一緒に再構築していくには,欠かすことができない問いではないでしょうか.
●最後に
内島さんが入職された時から,デザイン業で経験されてきたことやOTへの転身のこと等のお話しを深く聴いてみたかったのですが...ずっと我慢していました.
弊社でのOTの仕事を経験され3年経ようとしているこの時期であれば,ご本人から発せられる言葉やその内容により深みがあると思い,お話しを聴くタイミングをじっと見計らっていました.
今回のインタビューから,新卒採用者でもある内島さんの根気強さと責任感ある仕事ぶりはどこからくるものなのかが少し分かった気がしました.そのひとつは“クライアントのニーズをお聴きすることを大切に”を貫いたデザインの仕事とOTの仕事との接点を,毎回の利用者さまとの関わりに反映し続けようとする一貫した姿勢ではないかと思いました.
現在,サードプレイスを探していると話す内島さん.自分の生活や働くスタイルを持っている内島さんです.家庭や職場以外で楽しめるサードプレイスが見つかるのも時間の問題のような気がします.そして,それを仕事にも存分に活かして利用者さまへのサービスにつなげてくれそうです.
サードプレイスとは…
社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した,家庭でも職場でもない第3の場所.リラックスし,新しい出会いや学びを得られる場所のこと
●参考
2015年から弊社で運用しているアクティブコンピテンシーでは,下記のとおり生活期リハビリテーションや在宅リハビリテーションを担うアクティブの人材像を提唱しています.そのなかには根気強さや責任感,明るく元気,自己成長力等があり,内島さんに該当する項目が多くみられます.
アクティブコンピテンシーは,弊社スローガンの“「らしく生きる・活きるを応援する」を実践しつつ,さらなる高い成果を上げる人の能力や思考と行動特性”と定義(心意気コアコンピタンスともリンクしながら随時アップデート中)しています.
▼アクティブコンピテンシーとは…
キャリアインタビュー記事編集担当:人材開発室・心意気実践チーム 伊藤健次郎
社内メールマガジン〜アクティブ流〜2020年1月号のキャリアインタビュー前編 「クライアントのニーズをお聴きすることを大切に」作業療法士の内島 聖子さん(吹田)
社内メールマガジン〜アクティブ流〜2020年1月号のキャリアインタビューでは、作業療法士の内島 聖子さん(3年目、入職年月:平成29年4月、所属:吹田)からお話をうかがいました。
*今の仕事に至ったきっかけ、経緯、キャリアの振り返り
19歳で印刷物の制作会社に就職しここから社会人生活が始まりました.
この頃1990年代は印刷業界の仕組みが変わりだそうとしている時代でした.2000年代は台頭となるMacがある職場は珍しいくらいで,早く使いこなしていずれは自営したいと思い,Macでの仕事を経験できる会社を探して働きながら学びました.
24歳で独立しデザイン業のフリーランスに.その頃はとにかく自宅でもしっかり仕事ができるような自分と,それが可能になる仕事環境にしていきたいと考えていました(もし子どもができても,できるだけ子どもの近くにいながら仕事がしたいと思っていた).
フリーランスとなってからは自宅を事務所にして,朝方から夜中までひたすら印刷物のデザインの仕事,仕事,仕事…それが苦でもなくいくらでも働けました.
26歳,28歳の時に出産を経験し,無事に2子(現在,長女21歳,長男19歳)を授かりました.
30歳代に入り,仕事の幅が拡がり始めるとともに毎日の大変さは増しましたが,仕事と毎日やることがあることのありがたさが身に沁みていました.
様々な仕事や人々にふれ働く事や,これからの働き方を考えた時期でもありました.
デザインにもっと説得力をつけたいと思い,カラーの勉強とカラーの仕事を経験しました.ここで色彩心理が専門でカラーコンサルタントでもある女性経営者に出会いました.
“ビジネスにカラーの力を活かすこと”
これを信念とし,それに真摯に向き合い取り組まれる姿勢やダイナミックな考え方に大きな影響を受けました.
カラーの仕事からwebの仕事等,色んなジャンルの仕事をするようになり,様々な人と関わりながら仕事を完成させる愉しみを感じたのがこの頃でした.
他の人がどのような仕事をするのか,関心を持つようになることで,その方といつの間にか一緒に仕事をするようになっていたことがありました.そして,いつか一緒に仕事をするのを望んでいた方々との仕事の経験を何度も繰り返すようになっていました.
他の人から仕事の仕方を学び取る習慣がついていたのかもしれません.
いろんな仕事を経験する中で,世の中にはいろんな人が存在し,その考え方や価値観が多様であることを知りました.
デザインの仕事では,クライアントのニーズをお聴きすることを大切にしていました.
独立してから15年以上経ち,この仕事の面白さや仕事での自己効力感を感じていました.
クライアントや仕事仲間との協働的な関わりはあるものの,仕事のスタイルとして制作作業自体は自分の事務所で黙々と行います.
そういった仕事環境から,常にいろんな人と協働で仕事をする環境にも興味を持つようになっていました.
2010年.40歳になる頃から職業人生の半分地点という意識がありました.
あと半分をこの仕事でいくか,違う職業をしてみるか,今までの歩みを振り返りながら大いに考えました.
そんな時,OTという職業があることを知り,興味を持ちました.
そして1年間考え,一念発起し,OTとして在宅分野で仕事をしてみようと思い,学校にいくなら今しかないと41歳で専門学校へ入学しました.
デザイン業を続けるかどうするか考えましたが,これからOTやるならこの際辞めようと決意しました.
これまでデザインの仕事をしている姿を間近で見てくれていた息子から,「デザインもうせーへんの?」と聞かれたときは何ともいえない気持ちでした.
そして,正社員として回復期リハ病棟で看護助手をしながら,デザイン業を縮小し続け夜間OT学生3年直前で廃業しました.学校を卒業し,人の生活に直接的な関わりをデイサービスでの生活期リハや訪問リハ業務で様々な経験ができる弊社へ入職.現在に至っています.
*今の仕事、働き方
始めの3年間が勝負と思って就職しましたが,あっという間に経ちかけています.
望んでいた訪問リハで働かせていただき少しずつ件数も増えてきました.デイサービスの業務もしながら週3日程度の訪問リハ業務の経験を積み重ねています.訪問リハは吹田市内や東淀川区内を回っています.
そのなかから利用者様の人生について,日々勉強させていただく毎日です.
わたしの人生はこれまでほとんど仕事が中心でした.
OTになってからも年齢(年齢にものをいわせている!?)と,どうにかなる精神!?猪突猛進でOT2年経ちましたが,今年は年女.50歳を目前にして,これからもさらに元気に働いていくためにも仕事とプライベートの両立やサードプレイス(家庭や職場以外で自分が活き活きできる場)を意識するようになりました.
*仕事の魅力、やりがい
在宅や地域で生活されている利用者様に,目の前にある課題に対して,その都度どのようにアプローチしたらいいのか考えて,その場で判断,決断してアプローチすることは難しいです.
しかし利用者様の心や身体,生活に少しずつでも変化が現れ,それらを利用者様,またはご家族と一緒に共感・共有できたときに大きなやりがいを感じます.
利用者様の人生の一部に関わることは大きな責任を感じます.でもそれがあるからこそ,この仕事のやりがいのひとつだと考えています.
しかしながら,日々の仕事では頭で考えているような理想通りにはいかないことがほとんどで,時間が過ぎていくことに焦りを感じることも多々あります.
在宅や地域,訪問リハ領域では,PT・OT・ST職種関係なく,いろんなことに積極的かつ主体的に関われることが現場で必要とされる能力かと思います.
今後もこの領域のOTとして働いていく醍醐味を深く探っていけたらと思っています.
*仕事をしていく上で心がけていること
自分の性格やそれまでの仕事のスタイルもあってか,トップダウンな言い方になったりします.トップダウンにならないよう対等な関係で関わるよう心がけていますが,なかなかうまくできていません…
もう一つは,リハビリで利用者様と1度でも一緒に笑い合えたらと思っています.
リハビリを必要とされる方は何かの課題や問題があり,口に出さなかったとしてもいろんな複雑な思いや気持ちがあるかもしれません.運動が好きでないのにデイサービスに来られている方もいるかもしれません.
利用者様には笑ってもらい,少しだけでも楽しさや気分が変わる瞬間があればと日々の関わりの際に心がけています.
*私の療法士像
OTとして,心身機能の診立てができ,その人を取り巻くいろんな視点からアプローチできる
“対象者の方に愛がある”
ようなOTは理想的だなと思います.
*療法士として働く上で影響を与えた本
アクティブで働く大きなきっかけは,アクティブの公式ブログ“アクティブ報告”で心意気実践チーム・人材開発室のOT伊藤が書いた本の紹介でした.
著者は西村佳哲さん(デザイナーでもあり自称働き方研究家)で「かかわり方のまなび方」や「自分の仕事をつくる」,「自分をいかして生きる」(いずれも,ちくま文庫)という本です.
2016年6月12日のブログ
http://active-nopsj.sblo.jp/article/176050214.html
2016年10月30日のブログ
http://active-nopsj.sblo.jp/article/177476358.html
ちょうど2009年頃から人とのかかわりに興味があり,2011年頃にこの本を読んで凄く刺激を受けた一冊で私の好きな本です.今でもたまにチラチラと見ています.
まさか就職を検討するために見たアクティブのブログで,こんなマニアックかつ自分が大好きな著者の本の紹介と出会うなんて,こんな必然の偶然はない!と思いました.
そんな一冊の本を介したご縁からの始まりが今に至っています.
*家庭と仕事の両立
今年の春まで下の子は学生でしたが,子どもたちが仕事をするようになり今は手抜きし放題です(笑)仕事と家事の両立はきっちり上手くしなくてもいいから,自分が継続できるようなスタイルで続けています.
大きな声では言えることではないですが仕事で参観や懇談を忘れてすっぽかしてしまう失敗もありました.子どもたちには申し訳ないとは思いつつ,“お母さんはそういう人”と半ば諦めていただくというか,そういうお母さんキャラで許してもらえるようにするためにも,ご飯だけは作り続けようと決めていました(笑)
子育てでは,ついイライラしてしまうことが未だに多いです.でもそれは自分が勝手に気になっているだけだと自分の捉え方を変えていくことが大切かなと思います.
*これからの仕事でチャレンジしたいこと
ゆくゆくはターミナルケア等の人生の終末期である方のリハビリにも携わっていきたいです。精神的身体的にも辛い方へのリハビリは困難なことも多いと思いますが,その人らしく日々を過ごせるよう作業療法を介した関わりができるよう学んでいきたいです.
後編につづく
2019年12月06日
復活の朝 ~札幌発リハビリテーション物語~
□心意気的ナナメ読み
○働き方、生き方の見直しのタイミング
○女性片麻痺の家事自立の壁
患者、家族への説明の仕方において、医療行動経済学や心理学的な視点を取り入れ、工夫することも必要ではないでしょうか。
2019年11月22日
(参加報告A)リハビリテーション・ケア合同研究大会2019 第2日目

2019年11月21日
(参加報告@)リハビリテーション・ケア合同研究大会 金沢2019 第一日目。



2019年11月18日
キャリア・インタビューの概念図。
2019年10月25日
”ONE TEAM ワンチーム”ラグビー日本代表から学ぶ組織論。
○まずは強い個であり続け、互いの多様性と価値観を認め、外国出身選手の積極起用(1999W杯の平尾HC時代)
○シンプルな戦術と徹底した準備と高い規律性、勤勉さがベースのジャパン・ウェイ(2015W杯のエディー・ジョーンズHC時代)
○自主性があり、個々の自立・自律性が高い個がチーム・組織として有機的な融合を織りなすのが2019W杯日本代表の”ONE TEAM ワンチーム”
○徹底した準備と規律性、勤勉さを求めて、現在のチームの礎を築いた2015W杯のエディー・ジョーンズHC
☆自組織、自分自身に置き換えると…
⇒「利用者(スタッフも)が”らしく”なってもらうためにはどんなことでもする」
⇒「スタッフ個々がコーチアビリティ(従順さだけではない教わる姿勢)を高める」
○対話重視で自主性を求めた2019W杯のジェイミー・ジョセフHC
☆自組織、自分自身に置き換えると…
⇒「経営層、管理者、リーダーは、スタッフ個々が自信を持って自主的・自律的に働ける職場を創ること」
「スタッフ自身も個々にレベルアップを図りつつ、ひとりひとりがよく考えて、より良い仕事につなげること」
また、日本古来の茶道や武道の精神の「守破離」にも通ずるものがあるではないかと思います。
ウィキペディア(Wikipedia)より)
修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前) 〜 自律的に作業を遂行できる(1人前)
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)
今回のラグビー日本代表の躍進は、「守破離」の"破"から"離"の域までに、チームとして達しているのではないでしょうか。
参考)
▼ラグビー日本代表の会見に見た圧倒的な人間力(東洋経済オンライン)




2019年10月20日
キャリアインタビュー 「脇道に逸れた働き方がしたかった」作業療法士の日野上貴也さん(松原事業所、心意気実践チーム)
社内メールマガジン〜アクティブ流〜2019年11月号のキャリアインタビューでは、作業療法士の日野上貴也さん( 10 年目、入職年月:平成31年1月、所属:松原、心意気実践チーム)からお話をうかがいました。
1.今の仕事に至った経緯
高校卒業後は特にやりたいこともなかったので、ただ漠然と安定した生活がしたいと思い、大手企業に就職し“派遣社員⇒正社員”という道を思い描き、まずは派遣社員として働きました。大手企業の派遣社員として3年働けば、正社員になるための採用テストが受けることができるというシステムでした。しかしながら実際のところ、正社員になっている人はあまりおらず5年以上派遣社員として働いている人がほとんどでした。1年半ほど働きましたが、将来性を感じることは出来ませんでした。そこで何か資格を取ろうと思い立ち、資格がたくさん載っている本を見ると、たまたま受験日が近かったのが理学療法士・作業療法士の養成校でした。そして理学療法学科に受験してみると作業療法学科に“まわし合格”となり、入学・卒業し作業療法士になったという感じです。そのため作業療法士にどうしてもなりたい、誰かの役に立ちたいとかそんな立派な志のような部分や作業療法士を目指す理由は特にありませんでした。そんなわたしですが、病気や障害などのため「大変そうだなぁ」と思う方が目の前にいたら、「この方のために何とかできないか」と自然に自分から思えるので作業療法士にもなれましたし、また今もこの仕事を続けることが出来ているんだろうなと思います。
作業療法士としては、大阪物療専門学校卒業後のすぐの職場は府内にある回復期リハビリテーション病棟を有する病院でした。作業療法士となって初めての職場では作業療法の難しさに直面しました。入職2ヶ月目に担当した大腿骨頸部骨折の患者様で「家に帰りたい」と希望されていました。今回の骨折以前から円背があり後方へのふらつきが強く転倒傾向があり、また認知面では一つの行動に集中すると他の事を意識できない、自分の生活に対するこだわりが強くあり変化を受け入れることが難しい、という方でした。主病名は大腿骨頸部骨折ですから、日増しに筋力が向上してきて身体機能はメキメキと回復してきます。後方へのふらつきは見られましたものの、キャスター付きピックアップ歩行器で院内移動が出来るまでに回復されました。しかし、尿意を感じ「トイレに行きたい」と思うと歩行器を忘れて移動をしたり、もし自宅退院すれば炊事、洗濯をする等「今までやっていた役割」を「退院後も継続する」と強く希望されていました。入院期間は3ヶ月です。これらの情報を集約するまでに1ヶ月ほどかかっていますので、残り2ヶ月ほどで何とかしないといけません。しかし現状の身体機能だけでは転倒リスクが高くて到底難しいと思いました。でもどうすれば課題が解決するのかもわかりませんでした。「手すりをつける」「ベッドとトイレの距離を短くする」といった環境面に視点を移して考えてみました。では具体的にどこにつけるのか、ベッドをどこに置くのか等、という案が全く出てこなかったのです。何となく理学療法士と作業療法士の違いを感じた瞬間でした。そして何より自分が作業療法士として機能していない事に気づかされました。そこで先輩OTに質問をし続けて、最終的には動線上にアスレチック公園の様な手すりだらけの住環境調整の提案をしたような記憶があります。本当に作業療法は難しいと思いました。そんな経験を新人から2年ほど続けました。
次は、府内の急性期病院に勤務しました。軽症の方が多いなか、医療機器のコードやチューブが手足にたくさんセッティングされセンサー音が鳴り、座っただけで血圧が20も30も下がるため、ベッドのギャッジアップとダウンのくり返しといった患者様も入院しておられました。ここでの作業療法士の役割はチーム医療の一端を担っていたとは思いますが、診療・治療の“補助”という印象です。症状を改善させるために医師や看護師が診療・治療や処置を行っているので、作業療法士はその時にできる生活動作を評価し医師の指示の範囲内で心身機能面にアプローチを行い、次の転機先につながる情報を提供するという役割を主に担っていた印象です。ここでも2年間勤務させて頂きました。
その次が介護老人保健施設、“老健”です。ところで突然ですがみなさんは、“老健”と“特養”の違いを知っていますでしょうか?実は専門職でもあまり知らない方が多いのが実情です。また地域の住民の方たちにはほとんど知られていないようです。特養は人生の最期まで看てくれますが、老健はリハビリ施設なので全く役割が違います。どちらも施設系サービスで分けられており、介護老人保健施設=老健、介護老人福祉施設=特養と正式名称が“保健”か“福祉”かの違いだけなので余計に分かりにくいのかもしれません。
老健に入所⇒ご家族様・利用者様ともに「施設に入った」と思う⇒これでずっと過ごせる、過ごさないといけないと思う⇒家に帰れないという“負のサイクル”が繰り返し行われていました。これは勤めていた施設だけの課題というより全国レベルでの課題であると全老健の調査研究でも指摘されています。老健で働くリハビリ専門職は本当に大変だと思います。老健では心身機能が向上し、生活レベルも向上し、在宅環境を整えれば家に帰れるという状態になっても、終の棲家として人生の最期までを老健で過ごそうと思って入所されている方は家に「帰らない」ということが起こっています。まだ利用者様もご家族様も家に帰りたくないと言っているケースはいいのですが、利用者様は帰りたいと言っているのにご家族様は受け入れられないと言っているときは非常に辛かったです。老健という小さい箱の中で、利用者様お一人でベッドから車椅子に乗り移っては怒られ、エレベーターに乗っては怒られ、食事を食べこぼしては怒られ、見たくもないテレビをずっと見させられて時間になればトイレ誘導でトイレに連れていかれ、自分らしい暮らしや営みというものが遠く感じられたためか入所者のお一人が「もうあの世に行きたい」と言われる。このような場面を老健の日常から見続けているので、“帰りたいのに帰れない”という場面に立ち会ったときは辛さが倍増しました。その場面を目の当りにするようになってから「何とかして家に帰したい」と思い、介護保険や地域包括ケアシステム、高齢化社会など地域の状態や仕組みについて調べ始めました。まずは、“老健=終の棲家”というイメージを地域住民の方々は持たれていたので、そこを何とか変えたいと思って老健の役割に関する啓蒙的な活動を始めました。あらかじめリハビリ施設だと認識して入所されていれば、その後の退所もスムーズにいくのではないかと考えたわけです。そこで「老健は終の棲家ではない!」ということを伝えるために、当時担当していた業務の一つであった総合事業の健康体操を通じて広報活動を始めました。開始当初は皆さん老健の役割を知らず、本当に終の棲家だと思っている方が参加者20人中20人だったことがありました。そこで体操を通じて説明を行い、1年が経過した頃には参加者の皆さん「老健はリハビリ施設」と声をそろえて言って下さるようになりました。その活動と並行して、入所中の利用者様を在宅生活に近づけるのはどうしたらいいのかということも考えていました。施設相談員さんから提案してもらった作戦で、月のほんとどはショートステイを利用して老健で過ごし、月2〜3日程度は家に帰るという案です。この案をもとに在宅に帰れそうな利用者様をリハビリ科がピックアップし施設相談員さん、ご家族様に伝達するという試みをしました。「能力的にこの利用者様は家に帰れます」では伝わらないところが「ショートステイをこの日程で利用してみてから、この生活スタイルで家に帰りませんか?」と、より在宅復帰の実現可能性をイメージしやすい提案にすることで、在宅復帰数は少ないものの、在宅に繋がる1つの方法を見つける事ができました。施設や制度、社会の仕組みを知ることの大切さや伝え方の大切さを感じた5年間の勤務でした。
アクティブへ転職した理由は、脇道に逸れた働き方ができそうだったからです。どういう訳かというと、作業療法士と言えば個別リハビリで個別での治療というのが一般的で王道だと思うのですが、これからの地域は高齢者があふれて来て個別で対応できる人数だったり期間だったりが限定されてくると感じています。その中で、全ての作業療法士が王道を走ってしまうと、作業療法士などのリハビリ専門職の数に対して高齢者が多すぎるような状態になるため、リハビリ難民のような治療を受けれない方々が出てくると思うんです。この状態を何とかしたいと思っていました。僕の年齢が今33歳で人口減少時代の予測が2045年程度でその時は59歳、その後も高齢化率は維持されて高齢化社会は続く、などと考えていたら、僕の臨床家としての人生は高齢化社会との闘いだと思っています。個別での王道だけでなく、多くの人を集めて集団体操などを行う総合事業や、介護保険などの仕組みを地域の住民の方に知って頂くことで地域がスムーズに循環できるような啓蒙活動、介護保険の枠組みが狭くなってきているので枠組みを超えた取り組みを支援できるような自費サービスなどが必要じゃないか、など王道とは違う脇道に逸れているような活動が必要だと考えていました。そんなことを考えながら転職活動を行っていたところ、実際に考えて行動に移せる環境がアクティブにはあるのではないかと思い転職を決めました。
2.今の仕事・働き方
訪問業務2日、デイ0.5日、心意気チーム等の業務2.5日、月曜日休みの働き方です。他の業務としては、心意気実践チーム、心意気サポート、自費サービスてくてぃぶ、実務者研修会の講師、介護予防・日常生活支援総合事業(健康体操やウォーキング、エクササイズランチ、地域ケア会議、オレンジチームへの参画等)、療法士養成校(大学・専門学校)への講義、実習生指導、新人指導等、様々な業務を経験させて頂いています。
3.仕事をしていくうえで大切にしていること
“百聞は一見に如かず”です。学生の頃から自身で決めていた事なのですが、病院だけでなく生活期のリハビリも経験する「急性期、回復期、老健、訪問」を10年以内に体験することを何となくの目標にしていました。そして、ここアクティブに就職させて頂いて予定通りに全てを経験することができました。
4.仕事での苦労・醍醐味
仕事での苦労は今ところ特にないです。老人保健施設で働いていた頃は「家に帰りたい」と希望される入居者様を、何とかして家に1日でもいいから帰れないかと色々と考えて介入しました。しかしながら、ご自宅の介護状況等の諸事情が重なり、ご自宅には帰れずに入居継続という結果が続いた時には精神的にきつかったなと思い起こします。今は訪問リハビリでもちろんご自宅での生活を中心とし、ご自分らしく楽しそうに生活されている利用者様と接することができているためか、苦労と感じる事が少ないのかもしれません。
利用者様がやりたいことや楽しいと思える生活を支援できた時は大きなやりがいを感じます。また、そこを直接的に支援できるのは作業療法の魅力ではないかと思います。
5.療法士人生に影響を与えた運命の人
このタイトルで思いつく人は、総合実習で担当して頂いたバイザーの先生です。そこはデイケアだったのですが、実習のフィードバックの時間に言われた言葉で、
「僕のリハビリで大事にしていることは自分自身が笑うこと、そして相手にも笑ってもらうこと。QOLが向上しているか低下しているかなんて分からないけど、人が笑っているということは、その瞬間はおそらく楽しんでくれているんだろうと思う。治療技術だったり病気のことを追求したりすることは大事なことだけど、生活の中で笑う事ができているかどうかを考えることも大事なことだ」。
という言葉でした。衝撃的でした。作業療法学生として治療、身体機能が頭の中の中心にあった作業療法計画や評価の思考過程が一気に崩れた瞬間でもありました。もちろん自分の中では利用者様が中心で身体機能は生活機能を担う一部分だという感覚を持っているつもりではいました。しかしこの言葉を聞いた時、本当に“つもり”だったんだと痛感したのを覚えています。この実習で出会った先生のおかげで実習が終了して、作業療法士として臨床に出てからも“笑う”事を大切にできているのかもしれません。
6.心意気実践チームの自慢
活動・参加に焦点を当ててアプローチをする専門特化チームです。私自身作業療法士ですが、活動・参加、これがなかなか難しい。「旅行に行きたい」「遠くに買い物に行きたい」「庭の手入れをしたい」などなど、訪問リハビリで介入をさせて頂いていると利用者様が様々な希望を言われる瞬間があります。しかしそれを形にしようとするとすごく難しい。特に「旅行に行きたい」「遠くに買い物に行きたい」といった希望を叶えようとすると今の介護保険サービス内では提供できていないと思います。利用者様の希望を叶えられるだけの身体機能を身につけようと、身体機能に対するアプローチが中心になっていくということが僕自身は多かったと思います。しかし、心意気実践チームでは活動・参加への支援を具現化するために社内外の資源の活用や無償・自費サービスなど、様々な視点からアプローチを検討し形にしていく行動力というものが自慢だと思います。
7.育児・家庭と仕事の両立の秘訣は?原動力は?
看護師の妻と女の子2人(7歳と5歳)の4人家族です。僕は複数の事を同時にこなすということが非常に苦手なので、恐らく両立が出来ていないと思います。僕が仕事をして、妻が家事と育児をしてくれる、という感じですね。原動力は、家族と行きたいところに行ったり、食べたいものを食べたり、家族がしたいと言ったことをやれるようにするために、そんな希望を実現させるために仕事をしている、という感じです。まだまだ頑張らないといけません。
作業療法士 日野上 貴也さん 略歴
大阪府出身の33歳。看護師の妻と女の子2人(7歳と5歳)の4人家族。急性期、回復期、生活期等の各分野を経験してきた10年目OT。今年1月に入社時から心意気実践チームに所属し多岐にわたる業務を精力的にこなしている。講義でもひときわ声が通る期待の万能型ポリバレントなOT。
〜キャリアインタビューを終えて〜
最近は自分の行動を振り返ることが少なくなっていたのですが、今回のインタビューのおかげで振り返りができてありがたく思います。こうやって自分のキャリアを振り返ってみると楽しく“生活”“笑顔”など抽象的なことを大切にする臨床家になったんだなとあらためて思いました。
これからも利用者様の楽しい生活を支援できるように頑張ります。今回はありがとうございました。
■キャリアインタビュー編集担当より■
急性期、回復期、老健等の様々な職場、領域で経験した逆境や矛盾、不条理に向き合い、課題を見つける視点を持ち、失敗を恐れずに新たな取り組みへの行動を起こせたことが素晴らしいと感じました。利用者様の「帰りたい」に向けて試行錯誤と行動を続けることができています。
日野上さん自身の座右の銘でもある“百聞は一見に如かず”や”病院だけでなく生活期リハを10年以内の経験する”という学生時代からの漠然としたOTキャリアイメージをもとに、着実にキャリアステップを歩まれているのではないかと一緒に働いていて勝手ながらも感じるところです。
老健での勤務時代の逆境や矛盾、不条理に、そう簡単に屈することなくトライ&エラーの5年間の経験を通して、レジリエンス(粘り強さ、打たれ強さ、復元力)の習得を積み重ねてこられたのではないかと思いました。そんな経験が現在の心意気実践チームでの業務に活かされていると感じることが多々あります。弊社に入職前、直後から入念に下調べして準備を怠らず良質な新規事業の営業パンフレットを作成し、参加初回の心意気会議で提示してくれた日野上さんです。
日野上さんはポリバレントOT。ポリバレントとは化学分野の”多価”、複数のポジションを担いこなすことができるプレーヤーの意味です。2006〜2007年にサッカー日本代表の監督を務めていたイビチャ・オシム監督が使ったことから認知された言葉です。現ラグビー日本代表のジェイミー・ジョセフ監督の選手起用法では、選手にいくつものポジションを高いレベルでこなす事を求めてワールドカップで結果を出しています。
京都大学iPS研究所所長の山中伸弥教授は故 元ラグビー日本代表監督 平尾誠二さんのことを、常に感謝の気持ちを持ったレジリエンス(打たれ強さ)の塊と評しています。また山中伸弥教授の研究の恩師は、レジリエンスは感謝することで養える。感謝する気持ちを持てば、様々な困難に打ち克つことができるのではないか、と話されていたそうです。
そういえば、日野上さんもいつも「すいません」、「ありがとうございます」と、感謝の気持ちを忘れずに、依頼のあったどんな仕事にも前向きに取り組まれています。心意気実践チームの仲間としても頼もしい限りです。日野上さんの今後に期待大です!!
人材開発室・心意気実践チームいとう
2019年10月17日
地域リハビリテーションのこと。地域包括ケアでの役割とは。
○地域包括ケアを支える看護とは?